いきなりニューヨークで面接しろと言われても、困ります

第三章

夕方六時きっかりに、交換手からの目覚ましの電話で起こされた。
気分すっきりというわけにはいかないけど、三時間寝たので楽になった。
赤いタートルネック・セーターを着た。
ボトムは黒のストレッチ・パンツだ。
バスルームの鏡は、映画女優が使うような特大級の代物で、沢山の丸い電球で縁取りされていた。
その鏡の前で時間をかけて入念にメイクした。
約束の七時の十分前にコートをはおり、ロビーに降りてみると、すでにケビンと、妹のソフィア、そして彼らの両親が待っていた。
久しぶりに見るケビンは、昔より背が高くなっていた。
黒の厚手の革ジャンに、黒いジーンズ、黒いバスケット・シューズという格好だった。
彼の髪の毛は黒っぽい茶色で、肩にかからない程度の長髪だった。
六年前、初めて彼に会った時に感じたトキメキが、いま私の中でそっくり再現されている。
ケビンの母のシンディは、黒いコートの内側に、派手な花柄のプリントのドレスを着ていた。
「裕美、すっかり綺麗になって!」
シンディはそう言うなり私を抱きしめた。
その後、ジョン、ケビン、ソフィアの順で私と抱擁した。

五人は七番街のトラットリア・デラルテまで歩いて行った。
トラットリア・デラルテは、ちょうどカーネギー・ホールやブロードウェイの開演前に食事を済ませる客が引き上げる時間で、戦場のような忙しさだった。
我々は地下のワイン・セラーの小部屋に案内された。
そこは上階のざわめきとは打って変わった、郊外の普通の家のダイニング・キッチンのような、気さくな雰囲気の部屋だった。
ジョンは上機嫌で、ワインリストを手にウエイターと談笑している。
シンディはメニューに没頭している。
ケビンと私はテーブル越しに向き合っていた。
私は上目づかいにケビンの瞳をじっと見つめた。
その瞳には不思議な輝きがあった。
ケビンはテーブルの上で手を組んでいた。
その手は絵の具で汚れていた。
その長くて繊細な指に、いますぐ自分の手を重ねたい衝動に駆られた。
ケビンの口元が笑っている。
私の横に座っているソフィアは、そんなケビンと私の顔を、さっきから交互に見比べている。
「で、どうだったのよ? 今日の面接は」
シンディが待ちきれないという態度できいた。
ジョンがそれを制した。
「おいおい失礼だろう、そういう事をきくのは」
「大丈夫です。実は私、どうやら採用されるみたい。人事部の人が、オファー・レターを数日後に送るって言っていたから」
シンディは「きゃー」と興奮した声を上げて手を叩いて喜んだ。
話はお互いの近況報告に移って行った。
ケビンはグリニッジ・ヴィレッジのクーパー・ユニオンの四年生になっており、アスター・プレースの学生寮に住んでいることがわかった。
クーパー・ユニオンは少数精鋭の美大である。
グリニッジ・ヴィレッジからショーンフィールド&サンズのあるウォール街までは地下鉄で十五分ほどの距離だ。
そう考えただけで、ブルッと震えが来るほど幸福だった。
ケビンはいま制作中の課題作品のこと、クーパー・ユニオンには奇人変人ばかりが集まっていること、大学の課題の合間に描いた油絵を日曜日にソーホーのグリーン街に並べて観光客に売り、そのお金でセント・マークス・プレースの古着屋でこの革ジャンを買ったことなどを楽しそうに話した。
「裕美にプレゼントがある」
そう言うとケビンは黄色いビニール袋に入ったCDを渡した。
スザンヌ・ヴェガだった。
ケビンは私が音楽の好きな事を覚えていてくれた。
私は「ありがとう」と言いながら、そのCDにキスした。
ソフィアは私とケビンの母校でもあるミルコート高校の四年生になっていた。
ソフィアは大学進学を控えて、志望校に提出する願書の推薦状などの準備に忙しいことを説明した。
ソフィアと私は、実の姉妹のように親密な関係だった。
私がホームステイしていたとき、ソフィアは未だミドルスクールだった。ミドルスクールは日本で言えば中学校だ。
ソフィアは毎晩のように私の部屋に来ると、長話をして、そのまま私のベッドに潜り込んできた。
「ねえ裕美、ひょっとして気になっているかも知れないので、妹の私が誓いますが、兄には今、ガールフレンドは居ません」
「おい、よせ」ケビンが抗議した。
私は顔が火照った。
シンディは私がうつむいてしまったのを見ると、ナプキンを投げ、椅子を立ってテーブルの反対側に座っている私のところまで歩いてきて、かがみ込むようにして私を抱いた。
「裕美、私達、みんなあなたのことが大好きよ」

食事の後、車でニュージャージーに帰るシンディ、ジョン、ソフィアの三人とはカーネギー・ホールの前で別れた。
ケビンはエセックス・ハウスまで私を見送ると言った。
二人は七番街を並んで歩いた。
「ねえ、手をつないでいい?」
二人はセントラルパーク・サウスの交差点まで着た。ここを右に曲れば、エセックス・ハウスはすぐそこだった。
「ちょっとセントラルパークを歩いて、いいかしら?」
二人は雪の残るセントラルパークの中の小路で立ち止まると、お互いに向き合った。
私は指でケビンの頬に微かに触った。
ケビンは私の頬に手のひらをあてた。私はケビンの手のひらを枕にするように首を傾けた。
ケビンは私の髪の毛をなで、次に耳たぶと首筋をなでた。
私は目を閉じて顔を上げると、彼のキスを待った。
二人のキスは高校三年生の社交パーティーの夜以来、二回目だった。

その夜、ホテルのロビーでケビンと別れて部屋に帰った私は、服を脱ぎ、ベッドに入ると、ケビンの手を握った自分の手に何度もキスした。
完璧な一日だった。
幸せ過ぎて、ジワッっと涙が出た。
そして私は眠りに落ちた。



『いきなりニューヨークで面接しろと言われても、困ります』は2012年に発表したトレンディー・ドラマ仕立ての小説です。投資銀行、ドレクセル・バーナム・ランベールの崩壊を下地にしています。ティーザー(ちら見せ)連載ということで、小説全体の3分の1程度を、毎日更新することで無料公開します。


【ひとつ前の章】『いきなりニューヨークで面接しろと言われても、困ります』 2