いきなりニューヨークで面接しろと言われても、困ります

第五章

証券外務員登録が済んだので、晴れて営業が出来るようになった。
フランクは、未だショーンフィールド&サンズがアプローチしていない顧客の幾つかを、私の担当として割り当てた。
その顧客リストの電話番号を順番に回し、あいさつのアポイントメントを取った。
顧客リストは、全てマンハッタンに拠点を置く機関投資家だった。
最初に訪問したのは、フランクから「ここへ真っ先に営業するように」と言われた、ステイプルトン・パートナーズだった。
ステイプルトン・パートナーズのオフィスは、セントラルパーク・サウスの五十九丁目にあった。
それはプラザ・ホテルの向かいの、GMビルの中だった。
エレベーター・ホールに掲げられた、ぴかぴかに磨き上げられた真鍮製の会社名のプレートの前を通る時、そこに映る自分の姿を点検した。
ステイプルトン・パートナーズは成長株を中心に投資するヘッジファンドだ。
ショーンフィールド&サンズはケーブルTVや携帯電話会社など、最近になって登場した、新しい業種に力を入れていた。
その理由は、これらの企業は事業形態上、沢山の社債を発行する必要があったからである。
歴史の浅いこれらの企業は、社債の格付けも低く、高利回り債を得意とするショーンフィールド&サンズにとっては理想的な客だった。
一方、ステイプルトン・パートナーズはとりわけ通信・エンターティメント分野に詳しいヘッジファンドだった。
フランクの読みでは、先方の運用スタイルと、ショーンフィールド&サンズの提供出来るサービスが、ぴったり一致しているというわけだ。
私はアナリスト、ビル・ワイマンのレポートをサンプルとして持参した。
先ず会議室に案内され、ポートフォリオ・マネージャーのリックと、彼の上司にあいさつした。
次に彼らは私をトレーディング・ルームに案内した。
セントラルパークの緑が広が眼下に広がる、小さくて明るいトレーディング・ルームでマットを紹介された。
マットはステイプルトン・パートナーズに二人居るトレーダーのうちの一人だった。

昼過ぎにオフィスに戻った私は、女子トイレでメアリーベスと居合わせた。
メアリーベスはいたずらっぽい表情で、鏡の前の私に耳打ちした。
「ねえ、聞いた? 昨日の夜、トレーディング・ルームのデスクの上で、調査部のダイアンとセールス・トレーダーのカルロスが半裸で絡み合っているところを、他の社員に目撃されたそうよ。それにしても大胆不敵よね、カルロスって奴は。アイツは名うてのプレイボーイだから、裕美も気を付けた方がいいわ」

ステイプルトン・パートナーズに訪問した翌日の朝会で、ビル・ワイマンがウエストコースト・セルラーを「中立」から「買い」に格上げした。
私はそのニュースを、ステイプルトン・パートナーズのポートフォリオ・マネージャーのリックに伝えた。
五分ほどしてターレットの私の電話が赤く点滅した。
その電話に出た。
「ショーンフィールド&サンズの裕美です」
「裕美さん、ステイプルトンのマットだ。ウエストコースト・セルラーを七万株、はからいで買ってくれ」
はからいとは、おまかせという意味だ。
「くりかえします。ウエストコースト・セルラー、七万株、はからいで買うですね」
初めて自分の客から注文を受けたので緊張した。
(裕美、落ち着くのよ)


そう自分に言い聞かせて、普段、フランクがやっている手順を思い出してみた。
まず場の状況の確認だ。
「リサ! ウエストコースト・セルラーの寄り前気配を取ってちょうだい」
私は自分の席から立って、トレーディング・ルームの窓際に座っている、場電のリサに向かって、そう叫んだ。
場電とは、トレーディング・ルームと取引所の間の連絡を担当するトレーダーを指す。
たぶん電話をしているのだろう、リサは下を向いたまま、あたかも教室で生徒が先生の質問に答える時、勢い良く挙手するように、まっすぐ手を上げた。手のひらを私の方に向けているのは(わかった)という合図だ。
三十秒ほどしてリサが叫んだ。
「ジョニーをブルールームに走らせているところよ」
ジョニーはショーンフィールド&サンズがよく使う、ツー・ダラー・ブローカーだ。
ツー・ダラー・ブローカーとは取引所の立会場で営業する、個人商店の証券仲買人で、大手証券の場立ちの手が足らない時に起用される、言わば使い走りだ。
ブルールームとは、ニューヨーク証券取引所の、本館立会場のとなりの建物内に設けられた、拡張部分だ。
後から無理矢理継ぎ足した部屋なので、二つの立会場の間には段差があった。それが坂道になった連絡通路で結ばれている。
私はトレーディング・ルームの壁にかかっている四つの大きな時計のうち、「NEW YORK」と書かれた時計を見た。
九時二十七分だった。
あと三分で市場が開いてしまう。
(早く、早く、早く)
心の中でそう叫んでいた。
ターレットの私の電話番号が赤く点滅した。
リサだ。
「裕美! $55⅛から$55⅜で引き合っているわ。買いの手はソロモンの一万、ニューバーガーの五千、売り方はペインウエバーのニ万よ」
「$55¼で一万買って!  伝票はオープンにしておいて」
「了解」
伝票をオープンにするとは、後でまた買い足すという意味だ。
電話の向こうで「バン!」というタイムスタンプの音が聞こえた。
タイムスタンプとは、顧客から注文を受けた時に、伝票に時間を打刻する機械だ。
ウエストコースト・セルラーは$55¼で寄り付いた。前日比+2.3%だった。
ひと呼吸おいてまた私の電話番号が点滅した。
「$55¼で一万買ったわ。気配は¼-½に切り上がったわ」
私はとりあえず寄り付きで一万株を拾えたので安堵した。
「ちょっと様子を見ましょう。今日は七万株買うつもりよ。売り板が増えるか見ておいて」
「わかった」
ステイプルトン・パートナーズのスピード・ダイヤル・ボタンを押した。
「ステイプルトン」
「裕美です。ウエストコースト・セルラーを$55¼で一万拾いました。気配は¼-½に切り上がっています。売り物が出るか様子を見ます」
「OK」
そう言うが早いか、マットの電話はプチっと音がして切れた。
私はクウォートロンを見た。
ウエストコースト・セルラーの株価は$55⅜で、出来高は五万株だった。

小一時間ほどしてウエストコースト・セルラーの歩み足をクウォートロンに出してみた。
歩み足とは、その日、どれだけの株数が幾らの値段で売買成立したかの、取引記録のことだ。
ウエストコースト・セルラーは$55¼で寄り付いた後、ずっと$55¼と$55⅜の間を行き来していた。
売り物は少なかった。
安値は$55⅛が一回ついているだけだ。
出来高は十三万株に増えていた。
私はリサのスピード・ダイヤル・ボタンを押した。
「どう思う?」
「アドバタイズすべきだわ」リサはすかさずそう言った。
「わかった。じゃ、お願い」そう言って電話を切った。
アドバタイズとは、わざと注文の存在を宣伝することで、売り物を誘う行為を指す。
リサが彼女の座席からひとつ置いてとなりの席に座っているヘッド・トレーダーのビリーと言葉を交わしているのが見えた。
ヘッド・トレーダーのビリーはマイクロフォンでしゃべった。
「我々はウエストコースト・セルラーのラージ・バイヤーだ」
ラージ・バイヤーというのは、顧客のために大きな買い注文を「はからい」しているという意味だ。
ターレットの赤ランプが一斉に点灯した。
セールス・トレーダー達がウエストコースト・セルラーを既に保有している機関投資家に「売る気はありませんか?」と打診する電話をかけているからだ。
リサが私に電話してきた。
「裕美、ここで何株買うつもり?」
「最大二万株ってところね」
セールス・トレーダーの勧誘で、どうやら幾つかの売り手が現れたようだった。
それと同時に、裕美以外の新たな買い手も参戦している様子だ。
株の注文というものは、一番手口を多く出している証券会社に集中するものだ。
なぜならその証券会社に行けば、売り物と買い物が集結しているので、価格差が縮まり、結果として売り手も買い手も有利な値段で約定出来るからだ。
今は裕美の注文のせいでショーンフィールド&サンズがウエストコースト・セルラーの商いを独占していた。
「我々はウエストコースト・セルラーに$55⅜で四万株のクロスを振る。立会場に行くぞ!」
ビリーの声がスピーカーを通して響いた。
クロスとは、売り方と買い方の両方を、付き合わせるという意味だ。
立会場に行くとは、売り買いそれぞれ四万株の値段の折り合いがついたことを、事後的に取引所に報告するという事だ。
その売買成立がティッカーに流れると、一般の投資家もウエストコースト・セルラーで活発な商いが行われていることを知ることになる。
私のターレットが点滅した。
リサだ。
「ウエストコースト・セルラーを$55⅜で二万買ったわよ」
「ありがと」
私はステイプルトン・パートナーズのスピード・ダイヤル・ボタンを押した。
「マット、裕美です。ウエストコースト・セルラーを$55⅜で二万買いました。都合三万株、平均単価は$55.33です」
「よくやった」
私はトレーディング・ルームを横断して走っている、緑の株価電光掲示板を見上げた。
ウエストコースト・セルラーの四万株のクロスの情報が、今、流れている。
自分の注文が、こうやって株価電光掲示板に映るのをみると、興奮と緊張で、ガクガク足が震えそうになった。
クウォートロンを見るとウエストコースト・セルラーの気配は$55⅜-$55⅝に切り上がっていた。

フランクは金魚鉢の中でビル・ワイマンとコール・シートを前に打ち合わせしていた。
コール・シートとは電話する必要のある機関投資家顧客の電話番号のリストだ。
アナリストは自分のその日のリサーチ・コールに関して、上得意の顧客に順番に、じきじき電話することになっている。
電話し終わった客は斜線を引き、とりわけ熱心に話を聞いてくれた顧客には丸印をつけて、担当のセールスマンとセールス・トレーダーにそのことを報告する。
フランクの個室にもスクウォーク・ボックスからウエストコースト・セルラーのクロスの情報が流れてきた。
会議テーブルで頭を突き合わせてコール・シートを確認していたフランクとビルの二人は、大口の買い手が出現したという情報を聞いて思わず頭を上げ、メアリーベスの方を向いた。
メアリーベスは電話中だったが、フランクとビルが自分の方を凝視しているのを見て、大きなゼスチャーで私の方を指さし、声をださずに口をパクパクし「YUMIよ」と合図した。

私はもう一度リサに電話した。
「ウエストコースト・セルラーのバイカイ、取ってくれる?」
バイカイとは気配、つまり売り物と買い物の状況のことだ。
リサからの返事を待っている間、クウォートロンから目を離さなかった。
ウエストコースト・セルラーの気配は$55½-$55¾に切り上がっていた。
ターレットの私の電話が点滅した。
「裕美、早く動いた方がいいわよ。ウエストコースト・セルラーは$55½-$55¾で、買い方はソロモンが三万株、これはスペシャリストの懐に預けているわ。売り方はゴールドマンが場に晒していない売り物を一万持っているわ。ジョニーがこの売り物は¾オア・ベターだろうと言っていた。後は小口よ」
スペシャリストとは才取会員の事で、ニューヨーク証券取引所のトレーディング・ポストに常駐し、決められた銘柄の円滑な値付けを任されると同時に必要であれば自分で売り向かい、ないしは買い向かう事で流動性を提供する任務を負った証券会社を指す。
オア・ベターとはその値段を最低として、それ以上であればどこで売っても構わないという発注形式だ。
客が売り急いでいない場合に良く使う手だ。
「¾まで二万買う!」
私は椅子から立ち上がり、リサの動きを追った。
リサはビリーと相談している。
電話が点滅した。
私は立ったままでそれを取った。
「裕美、ビリーが一万株をストップするって。残りはアドバタイズしてみるわ」
「オッケー」
ストップとはチーフ・トレーダーの判断で、ある株数の売買成立を保証することを指す。
大きな注文を取引所に晒し、気配が動いてしまうのを防ぐ目的で使われる、トレーディングのテクニックだ。
ビリーがマイクロフォンを握った。
「我々はウエストコースト・セルラーのラージ・バイヤーだ。ゴールドマンが売り物を用いている。この売り手が誰か探せ!」
ターレットの赤いランプが再び一斉に灯った。
しばらくしてビリーの声がスクウォーク・ボックスから流れた。
「我々はウエストコースト・セルラーに$55¾で五万株のクロスを振る。立会場に行くぞ!」
電話が点滅した。
「裕美、$55¾で二万株買ったわ」
「ありがとう」
私は直ぐにステイプルトン・パートナーズのスピード・ダイヤル・ボタンを押した。
「マット? 裕美です。ウエストコースト・セルラー、$55¾でもう二万買いました。これまでの平均単価は$55.498です」
そう言いながらクウォートロンをチラッと確認した。
気配は$55⅞-$56に切り上がっている。
頭上の株価電光掲示板にはウエストコースト・セルラー、$55¾で五万株のクロスの情報が流れて行った。
「裕美、作戦変更だ。七万株ではなく十万株買いたい。つまり残り五万株だ」
「わかりました」
リサに電話した。
「客が株数を増やしたわ。都合十万株買いたいよ。つまりあと五万株ってわけ」
「裕美、他の買い手も買い増し意向よ。ここでもう二万、拾っておきましょうよ」
「じゃ、お願いね」
再びビリーの声がトレーディング・ルームに鳴り響いた。
「我々はウエストコースト・セルラーを商い中だ。ラージ・バイヤーだ。さあ諸君、ひと仕事しようぜ!」

私の向かいの席に座っているスパンキーが「ちくしょう、もう我慢ならねえ!」という言葉を発して、こぶしでデスクを叩くと、椅子から立ち上がった。
スパンキーは年の頃で三十歳くらいの、脂の乗ったセールスマンだ。スパンキーの本当の名前はグレゴリー・スポルディングだが、会社や顧客の間では、もっぱらスパンキーというニックネームで呼ばれている。
「みんながウエストコースト・セルラーの注文を取っているというのに、このスパンキー様だけがゼロとは……よーし、俺は怒ったぞ。こうなったら片端から体当たりだ」
そう言うとハアハアと息をして顧客のスピード・ダイヤル・ボタンを押した。
彼の椅子の背に掛けてある背広の上着は半分ずり下がっていて、今にも床に落ちそうだ。
上等のドレスシャツの一番上のボタンは外されている。
袖口は二重に折り返しがあったが、カフリンクはどこかへ消えていた。
エルメスのネクタイは曲がっている。
シャツの後ろがズボンからだらしなく出ていた。
片足をどっかり自分の椅子に乗せて、立てたひざの上に肘を乗せて、前かがみの姿勢で、熱っぽく電話の向こうに語りかけている。スパンキーのフェラガモのローファーは、ピカピカに磨き上げられていた。
「ようリチャード、スパンキーだ。銘柄はウエストコースト・セルラーだ。いや、そうじゃない。リサーチ・コールなんてクソ喰らえ! わからない奴だな! 相場になるんだよ、相場に。クウォートロン叩いてみろ! よし、じゃ二万株だな。かたじけない」
スパンキーは今度はリサに電話した。
「ようリサ、ウエストコースト・セルラー、俺も乗っかるぜ! 成り行きで二万の買いだ」
ビリーがマイクロフォンを取った。
「みんな、良く聞いてくれ。ウエストコースト・セルラー、$56⅛で十万株のクロスを振るぞ。いま立会場に報告中だ。今後も継続して買い手だ」

結局、この日、私はステイプルトン・パートナーズのために十万株のウエストコースト・セルラーを買った。
平均買い付け単価は$55.887に抑えることが出来た。
ウエストコースト・セルラーの大引けは$56⅜で前日比+4.4%だった。
ショーンフィールド&サンズ全体としては買い方、売り方合計して約八十万株のウエストコースト・セルラーを商った。

伝票の片付けを終えたリサは、私のところまで歩いてきて、ハイファイブした。
ハイファイブとは高く手をあげ、「ぱあん」と手のひらを打ち合わせる儀式だ。
それを見ていたフランクは、椅子をうしろにのけぞらせて、リサを呼びとめると、少し話をした。
リサはデスクに戻って伝票の束をパラパラめくり、そのひとつを抜き取るとトレーディング・ルームの端にある複写機でコピーし、フランクのところに持ってきた。
フランクはリサに「ありがとう」と言ってから、私に向き直った。
「裕美。今日は大活躍だったね。これはあなたのウエストコースト・セルラーの伝票だ。記念すべき最初の受注だから、額に入れて大事にとっておきなさい」
うれしくて涙が出そうになった。
そのとき、スパンキーが私のところへ来た。
「裕美、今日はすごかったな。キミが注文を取っている姿を見て、正直、俺は血がたぎったぞ。あ、それから俺もちょっとウエストコースト・セルラーを買わせてもらったぞ。どうだい、今日は裕美のためにハリーズで乾杯しようじゃないか?」
そう言うとスパンキーは万歳の格好をしながらトレーダー達の方に向き直った。
「よう、皆、良く聞け! ビールは俺のおごりだ。裕美のために乾杯しようぜ。いざハリーズへ!」

『いきなりニューヨークで面接しろと言われても、困ります』は2012年に発表したトレンディー・ドラマ仕立ての小説です。投資銀行、ドレクセル・バーナム・ランベールの崩壊を下地にしています。ティーザー(ちら見せ)連載ということで、小説全体の3分の1程度を、毎日更新することで無料公開します。


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