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同作品は2012年に発表したトレンディー・ドラマ仕立ての小説です。昔、ニューヨークのトライベッカに住んでいた頃、近くにモデル・アパートメントがあったことからヒントを得て執筆しました。ティーザー(ちら見せ)連載ということで、小説全体の3分の1程度を、毎日更新することで無料公開します。


第二章

鉄夫はケイラを六つの机が寄せられたブッカーのエリアに案内した。壁際には棚があり、そこにモデルの写真が印刷されたカードがずらっと並んでいた。鉄夫はその一つを取り出してケイラに示した。
「これはコンプ・カードだ。モデルの名刺代わりだ」
ポストカードの大きさの、二つ折りにされたカードには、全部で四つほどの写真が印刷されており、モデルの名前、身長、スリーサイズが記載されていた。フュージョンのロゴも入っていた。
コンプ・カードが入った棚には、ポラロイド写真も無造作に突っ込まれていた。
鉄夫は次に壁際のテーブルに平積みにされた紺色のフォルダーを手に取った。
「こっちはモデル・ブック」
モデル・ブックと呼ばれるフォルダーの内ポケットには、ティア・シートと呼ばれる、過去に雑誌に掲載された写真を切り取ったものが突っ込まれていた。
鉄夫は自分のデスクに行くと、近くの椅子を引っ張ってきて、ケイラに勧めた。
「ここは言わば管制塔だ。フュージョンのモデルはマンハッタン中を飛び回って仕事している。海外に行くこともある。その間にブッカーはクライアントに電話して仕事を取る。予定が追加される毎にモデルが次にどこに行くべきか、ここから指示を出す」
鉄夫はスクリーンを指差した。
「これはモデル・カレンダーといって、モデル毎の、その日のスケジュールを示している。キミのページも、今日、これから作る。次のタブはイベント・カレンダーだ」
鉄夫がそのタブをクリックすると、カレンダーが別のものと入れ替わった。
「イベント・カレンダーにはファッション・ウィークなどの重要イベントが示されている。きみに習慣付けて欲しいことは、毎日、夕方の五時から五時半の間に僕に電話を入れることだ。モデルはフォト・スタジオでの撮影や、デザイナーのオフィスでの採寸など、とかく外出が多い。飛び込みの仕事が入ったとき、それを受けられるかどうか確認するために、モデルとブッカーは最低一日一回、口を利けるようにしておかなければならない」
ケイラは手帳を出すと「毎日夕方五時から五時半の間に鉄夫に電話すること」と記入した。
「きみの携帯の番号を教えて欲しい。僕の番号はこれだ」そう言って鉄夫はケイラの前に名刺を投げた。
「僕の使命は、なるべく沢山の仕事をきみのために取って来ることだ。きみがどんな顧客に向いているか……その適性を見極めるのが僕の仕事だ。モデル料を交渉し、クライアントとのトラブル処理をするのも僕だ。ひとつ仕事が終わったら、必ず電話して欲しい。今日誰に会い、彼らがどういう反応を示したか? 次のビジネスにつなげられそうか……そういう報告が欲しい。若し何かが上手く行かなかったら、二人でその原因を一緒に考えよう。わかったね?」
鉄夫はフランクリン・スタジオのベニーに電話して、明日の朝十時にケイラの撮影をしてくれるよう頼んだ。
それからパソコンに向かい、ケイラのモデル・カレンダーを作成し、明日の予定と携帯電話の番号を記入した。
「お昼に行こう」
鉄夫はそう言うと引き出しの中からモデル・アパートメントのスペア・キーを取り出し、ポケットに入れた。マイケルに「ケイラとお昼に出て、モデル・アパートメントに案内する。何かあったら、携帯に電話してくれ」と声をかけた。
二人はフュージョンのオフィスを出た。ウエスト・ブロードウェイを一ブロックほど南に下がり、フレンチ・ビストロ風の、お洒落なレストラン・バー、ラッキー・ストライクに入った。
入口付近のバーを通り抜け、二人が案内されたのは、一番奥の、天窓の真下の明るい席だった。壁には全面に鏡が貼られていて、店内が映し出されていた。その鏡には白いマジックペンで「今日のスペシャル」が走り書きされていた。ケイラはそのメニューが書かれた鏡を背にして緑色のソファに座り、鉄夫はケイラに向かい合って座った。
「気分はどう?」
「最高です」
「今朝着いたって……言ったよね?」
「はい。長距離バスを乗り継いで来ました。全部で二十九時間かかりました」
「根性あるね」
「貧乏なだけです。お金があれば、飛行機にします」
「きみの喋り方は率直で良いね」
「ありがとう」

ウエイターが注文を取りに来た。
ケイラはシーザー・サラダを、鉄夫はツナ・サンドイッチを頼んだ。
「きみの家族の事を教えて」
「ママと私の二人暮らしでした。ママはメンフィス空港のフェデックスの配送センターでフォークリフトを運転しています。パパとママは私が十三歳の時に離婚しました。それ以来、女手一つで私を育ててくれました」
「モデルになろうと思ったきっかけは?」
「メンフィスのショッピングモールで地元のモデル・エージェントから声を掛けられた事があったのです。どうせモデルをやるなら、高校をちゃんと出て、ニューヨークで挑戦しようと思った。モデルになって、ママに楽をさせることが出来ればいいなって……」
「フュージョンのオープンコールが最初だったわけだね」
「そう。ラッキーでした」
「ラッキーなのは、こっちの方さ」
「え?」
「うちは週一回、オープンコールをやっている。毎回六人くらいが受けに来る。一年に四十八回オープンコールして、契約出来るのは十六人程度だ。そのために二百八十八人と会うわけだ。僕から見れば、三回オープンコールを実施して、ひとり良い娘に巡り合えればラッキーだ。若しきみがどこか別のモデル・エージェンシーのオープンコールに最初に行っていたら、ライバルにきみを盗られていただろう」
「なるほど……」
「フュージョンには僕を含めてブッカーは三人しか居ない。僕とマイケルとサラだ。一人のブッカーが十六人の女の子を担当している。つまりうちの抱えているモデル数は、きみを含めて四十八人に過ぎない。これが大手になると八百人もモデルを抱えている」
ウエイターが二人の注文した品を持ってきた。鉄夫はケイラに「どうぞ」と言ってから、話を続けた。
「ブッカー一人当たりの年間売上高は百二十万ドルだ。これは業界では良い線を行っていると思う。この売上高のうち四十%はエージェンシーに入り、モデルは残りの六十%を取る」
「ちょっと、聞きたいんですけど……契約書には確か、モデルの取り分は八十%と書いてありましたよね?」
鉄夫は微笑んだ。
「その通り。二つの数字に差があるのは、サービス・フィーのせいだ。ブッカーが顧客とモデルのフィーを交渉し、レートを決めたとする。いま仮に一万ドルとしようか? その場合、モデル・エージェンシーは一万ドルのモデル・フィーに加えて、ニ十%のサービス・フィーを請求できる。つまり一万二千ドルが請求書の金額になるのだ。モデルに対する支払はモデル・フィーの八十%、つまり八千ドルだ」
「ややこしいですね」
「もともとアメリカのモデル業界にはサービス・フィーを外枠で請求するという発想は無かった。1958年にドリアン・リーというモデル出身のエージェントがフランスに渡って、モデル・エージェンシーを開業しようとした。その時、アメリカ流のやり方が社会問題になった。当時のフランスではモデルのフィーから二十%をエージェンシーが取るという行為は搾取に等しいと思われたのだ。そこでドリアンは外枠で別途サービス・フィーを取るという方法を考案したのさ」
結構、理知的な人だな。ケイラは鉄夫の説明を聞きながら、そう思った。それに鉄夫はメンフィスでは到底お目にかかれない洗練されたルックスだ。
鉄夫の髪は肩までかかっていた。紺色の木綿のシャツはきちんと糊がきいていた。黒い細身のチノパンに、先端が四角に尖った、光沢のある革靴を履いていた。
鉄夫の態度は終始リラックスしていたが、喋り方は厳格だった。
変に馴れ馴れしい男よりは……マシかもね。ケイラはそう思う事にした。
「モデル・エージェンシーの取り分を除外して、実際にモデルが貰える給料を計算すると、モデル一人当たり平均、年間五万ドルという計算になる。でも現実にはウチに登録されているモデルの大半が年間五万ドルを稼げていない。それはごく一握りの売れっ子モデルにエージェンシーが依存していることを意味する。いや、もっと言うと全体の二割のモデルが会社の売上高の八割を稼ぎ出している」
「どうすれば、売れっ子になれます?」
「モデル・エージェンシーと契約出来るような娘は、容姿の面では十分に美しい。だからルックスだけで差をつけようと思っても、それは無理だ」
「本当ですか?」
「実際、完全無欠の美顔には、意外なほど仕事が回って来ない。もちろんパリのようなマーケットでは、ある程度、クラッシックな美しさが好まれる。でもそれよりずっと大事なのは、本人のキャラクターだ」
「キャラクター?」
「撮影の時、表情が死んでいる子はダメだ。フォトグラファーの描いているイメージを敏感に感じ取って、その要求に次々に反応していく積極的な子が好まれる。カメラを向けられた瞬間に全身が生き生きするような子じゃないとダメなのだ」
「……」
「世界で最初のスーパーモデルと言われたジーン・シュリンプトンは六十年代に活躍したイギリスのモデルだけど、カメラを向けられた瞬間に、まるでスイッチをONするように、この世のものとは思えないオーラを発散することが出来た。きみも撮影の時、オーラを出すことを意識的に心掛けて欲しい」
「はい」
「それからモデルはデザイナーや化粧品会社の代弁者であり、ブランドの外交官だということを忘れてはいけない。彼らの作品を身にまとったとき、モデル自身がワクワクしないといけない。そうでなければデザイナーや企業は、きみから侮辱されたと感じる」
「わかりました」
「自分の好みで、この服は嫌いだとか、水着は苦手だとか、わがままを言うモデルはすぐにこの業界から消える。デザイナーは苦心して新しいスタイルを考案し、何人ものモデルと面接して、きみにショーの成功を託す。良いモデルとは、仮にその服が自分の好みでなくても、それをおくびにも出さず、デザイナーや企業の期待を背負って全力投球する娘だ」
「全力投球……」
「もちろんモデルだって人間だ。二度とこんな仕事はやりたくないという場面に必ず遭遇する。これは大事なことだけど、モデルが仕事場で不平不満を口にすると、プロフェッショナルじゃないと思われてしまう。だからどんなに辛くても、抗議や不満はエージェンシーに持ち帰って、僕にぶつけて欲しい。モデルに代わってそれを相手に伝えるのもブッカーの仕事だ」
「わかりました」
「明日、きみのコンプ・カード用の写真撮影をする。コンプ・カードが出来たら、僕がきみをいろいろな顧客に紹介する。相手がきみに興味を持てば、キャスティングというインタビューに行くことになる。そこで相手に気に入られたら、初めて仕事ということになる」
「オーディションはオープンコールだけじゃないんですね」
「キャスティングを繰り返しても、ぜんぜん仕事が取れないモデルもいる。それは必ずしもモデルのせいとは限らない。クライアントの求めているイメージと、自分の容姿が違うと、どんなに美しいモデルでも起用されない。だからキャスティングが空振りに終わったからといって落胆してはいけない」
「はい」
「モデルによってはカタログなどの、消費者向け商品を紹介する仕事ばかりが入って来る娘も居る。そのような撮影では主役はモデルではなく、商品そのものだ。そのような仕事をコマーシャルと呼んでいる。コマーシャルの撮影の特徴として、モデルは大概、微笑んでいる。華麗じゃないけど、金になる」
「金にならない仕事もあるんですか?」
「たとえばヴォーグの表紙や本文記事向けの撮影は、それ自体では金にならない。ヴォーグの撮影は一回でたった二百ドルだ。またファッション・ウィークなどで有名デザイナーのランウェイ・ショーに出演するのも、フィー自体は安い。ただそのような場に出ればモデルとしての箔が付く。だから有名デザイナーのランウェイ・ショーやヴォーグ、ハーパース・バザーなどの一流ファッション雑誌向けの仕事はモデルにとって大きな節目になる」
「シンディ・クロフォードが化粧品の宣伝に出るような場合って、コマーシャルに分類されるのですか?」
「それはキャンペーンと呼ばれている。キャンペーンが、実は一番儲かる。スーパーモデルが或る商品のイメージガールとして起用されると、彼女は競合他社の製品を宣伝できなくなる。つまり独占契約だ。その場合、スーパーモデルは失った利益機会に対する補償という意味を込めて、べらぼうな契約料をスポンサーに要求できる。トップモデルが一日で一万五千ドルも稼ぐと言ったときは、そのようなケースが多い。キャンペーンには化粧品の売上高に応じて、その何パーセントかがモデルに入るというような、ロイヤリティー収入的な部分もある。すると時間を切り売りしなくても、過去の仕事で年金のようにお金が転がり込んでくる。スーパーモデルになって、大きなキャンペーンをこなすというのが、モデルの究極の到達点だ」
なるほど、キャンペーンが一番お金になるのか……しかしケイラには別世界の話に思えた。
「このクラスのスーパーモデルは多く見積もって一ダースしかいない。世界には五千人近いモデルが居る。つまりスーパーモデルになれるのは千人に二人だ。因みにフュージョンには未だスーパーモデルは居ない。それを育成するのが、僕の夢だ。きみは……」
そこで鉄夫の話は急によどんだ。
鉄夫は一瞬考えて、言葉を選びながら続けた。
「これまで色んなモデルを見てきたけど、きみは特に素質がありそうだ。だからおまえはスーパーモデルを目指せ!」
呆れた……今日、オープンコールにやってきたばかりの娘に、いきなりそんな風に言われても困る! ケイラは心の中で思わず反発していた。

ラッキー・ストライクで昼食を終えた二人は、その足でモデル・アパートメントに向かった。モデル・アパートメントはキャナル街を渡って数ブロック歩いた、ノース・モーア街にあった。この界隈はトライベッカと呼ばれている。
「ここがモデル・アパートメントだ」そう鉄夫に言われて見上げた建物は、昔の倉庫を改造したロフトだった。
「モデル・アパートメントに入る前に、明日の撮影のあるフランクリン・スタジオの場所を教えておこう。このすぐ裏だ」
そういうと鉄夫はヴァリック街にケイラを案内した。ロマネスク風の窓のある、大きなロフトだった。
「ここに明日朝十時に来て、ベニーに会う事。わかったね」
そう言って鉄夫はケイラを連れて、またモデル・アパートメントの方に戻った。モデル・アパートメントのビルには石畳の道路に面して荷物の積み込み用の鉄製のプラットフォームがあった。そのプラットフォームに乗ってドアのところにくると、鉄夫が「これから言う番号を、キーパッドに入力して」といった。
「四、一、六、八」
するとカチッという音がして、鍵が開いた。二人が中に入ると、そこはエレベーターホールになっていた。ボタンを押すと、既に一階にエレベーターが待っていたので、スッと扉が開いた。
鉄夫はポケットの中から鍵を出すとケイラに渡した。
「この鍵を七階のボタンの横に挿しこんで、九十度回してから、ボタンを押してごらん」
ケイラが言われるままにすると七階のボタンが黄色く点灯し、エレベーターが動き出した。鉄夫は鍵を縦に戻し、抜き取ると、ケイラに渡した。七階に着き、エレベーターの扉が開くと、そこはもう部屋の内部だった。個々のフロアのボタンが鍵でロックされているのは、そのためだった。
部屋の中に入ったところは、キッチンだった。
キッチンから廊下を通って後ろが大きなベッドルームになっていた。
ベッドルームには四つの二段ベッドが配置されていた。
「きみのスペースはここだ」
二段ベッドの上の方の、使ってないところを鉄夫が指差した。
「メンフィスから荷物を送ってもらう場合、会社宛にした方が良いと思う。ここは昼間誰も受け取る人が居ないからね。僕はオフィスに帰る。明日、撮影が終わったら、僕に電話くれるかな? それじゃ」
「あ、いろいろ、どうも」

鉄夫が帰ってしまうと、一人になったケイラはママに電話した。
「ケイラよ。落ち着いて聞いて! オーディションに受かったの! 信じられる? 契約書にもサインしたわ。フュージョン・モデル・エージェンシーという会社……明日、最初の撮影があるの……」
ケイラはフュージョンの住所と電話番号をママに伝えた。そしてモデル・アパートメントに入居したことを説明した。
「……会社の人? ナイスだったわよ。……私を担当するブッカーは、鉄夫という人。そう……日本人。クソ真面目なタイプ。でも言っている事はマトモ。頭良さそうだし……」

【ひとつ前の章】「おまえはスーパーモデルを目指せ!」なんて、よくもそんな残酷なことが言えたわね 1