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同作品は2012年に発表したトレンディー・ドラマ仕立ての小説です。昔、ニューヨークのトライベッカに住んでいた頃、近くにモデル・アパートメントがあったことからヒントを得て執筆しました。ティーザー(ちら見せ)連載ということで、小説全体の3分の1程度を、毎日更新することで無料公開します。


第三章

ケイラはママとの電話を終えると、モデル・アパートメントの中を見回してみた。
キッチンにはレストランにあるようなしっかりとしたレンジとステンレス製の大きな換気扇が備わっていたが、本格的な料理をしている形跡は無かった。
冷蔵庫の中には飲みかけのオレンジジュースや牛乳があった。それぞれに太いマジックで持ち主の名前が書かれていた。
キッチンの前にはダイニング・テーブルがあった。
その先はリビング・ルームでペルシャ絨毯の上にソファが配置されていた。
窓際にはテレビがあった。リビング・ルームには四つの大きな窓があり、その窓からは向かいのロフトの屋根に乗っている、樽の形をした給水タンクが見えていた。
トイレとシャワーはキッチンの横と、ベッドルームから階段を少し昇ったところの二か所にあった。ベッドルームの方のシャワーにはバスタブが付いていた。
夕方の四時を回った時、エレベーターのドアが開いて、モデルが一人、帰ってきた。自分より少し背が高く、髪の毛の色はブルネットだった。
「ハーイ、私、ケイラです」
「ニコルよ。あなた、新入り?」
「そうです。よろしく」
ニコルはそれには答えず、ベッドルームに入って行った。
怖そうな人。ケイラは不快な出会いに少しがっかりした。ダイニング・テーブルに座ってモデル契約書の控えを出し、今日の出来事を思い出していたら、再びエレベーターのドアが開いて、別のモデルが帰ってきた。金髪だった。
「ハーイ、私、ケイラです。はじめまして」
「アディソンよ。あなた、年は幾つ?」
「十八です」
「ふん、未成年でないだけマシね。泣き虫のちびっこは、もうこりごり」
「……」
「ところであなた、ひょっとして南部出身?」
「あ、はい、そうです。テネシー州メンフィスです」
「どうりで訛りがあると思った」
そう言い残してアディソンはベッドルームに消えてしまった。
何なの、このビッチ! ケイラは自分に向けられたいわれなき憎悪に憤りを感じた。
耐えるのよ、ケイラ……私はニューヨークに遊びに来たんじゃない。自分にそう言い聞かせた。
ベッドルームからはニコルとアディソンが談笑する声が聞こえてきた。
次にエレベーターのドアが開くと、二人のモデルが帰ってきた。
「ハーイ、私、ケイラです。はじめまして」
「マヌエラよ。はじめまして」
「ハンナです。よろしく」
マヌエラという名の娘は、ドキッとするような緑色の透き通った瞳をしていた。言葉の発音から察すると、たぶん東欧のどこかの国の出身だろう。こんな綺麗な人とじゃ……とても競争にならない。ケイラは心の中でパニックしそうになった。
一方、ハンナはブルネットで瞳は黒かった。ちょっと目には、気さくな性格のようだった。
皆がベッドルームの方へ消えてしまったので、ケイラもベッドルームに行く事にした。
自分のベッドの下はハンナの場所だった。
「このベッド、あまり軋まないと良いけど」ケイラはハンナにそう言って、自分のベッドに上がった。
「私は平気。姉が居て、ずっと二段ベッドで育ったから」ハンナがそう下から声をかけた。
五時になるとアディソンが携帯でどこかに電話した。
「アディソンよ……何か、入っている? ジェイ・ベッツィーでキャスティングね……住所は……じゃあ明日朝、モデル・ブックをオフィスに取りに行くわ」アディソンはそう言って電話を切った。
ニコルも誰かに電話をかけている。
「……そうじゃないってば、渡された水着が小さすぎて……」
ケイラは他のモデルたちが電話しているのを見て(あ、そうだ,電話しなきゃ!)と思い出した。携帯を出して鉄夫に電話した。
「ケイラです。五時を回ったので、チェックインの電話をしました……ええ、何も問題はありません……明日、予定通り十時にベニーに会いに行きます。それじゃ」ケイラはそう言って電話を切った。

「サラは全然わかってない」ニコルがアディソンにこぼしているのが聞こえた。
ケイラはベッドに横になり、皆に背を向けて壁の方を向いたが、その会話に聞き耳を立てた。
「マヌエラはラッキーよね、鉄夫がブッカーで」ニコルの言葉にアディソンは「鉄夫は真面目過ぎて退屈よ」と答えた。
「でもちょっとキュートじゃない、あいつ。ねえ、マヌエラ?」
そう話を振られたマヌエラは「私に聞かないで」と言った。
ニコルは面白がって「あなたひょっとして、鉄夫に気があるんじゃない?」とマヌエラを冷やかした。
「鉄夫とならヤッてもいいな、私」
「やめて!」マヌエラはそう言うとベッドルームから飛び出して行ってしまった。

翌日、ケイラは十時十分前にモデル・アパートメントを出た。
一ブロック歩いてフランクリン・スタジオの前に来ると、重いドアを開けて中に入った。
エレベーターは貨物用の大きな代物で、このビルが昔、倉庫として使用されていたことを物語っていた。
最上階でエレベーターを降りると天窓をふんだんに使ったそのロフトは、まるで屋外と変わらないほど明るかった。
ロフトの中の男に声をかけた。
「私、ケイラです。撮影で来ました」
「ああ、きみか。ベニーだ」
その男はそう言うと、ロフトの奥の方に向かって、「キャロリン!」と叫んだ。
黒い服を着た中年の女性が現れた。
「キャロリンです。メイクアップ・アーチストよ。こちらにどうぞ」
そう言って、白い壁で仕切られた、奥の部屋に歩いて行った。
ケイラがそこへ入ると、大きな鏡の前に白いメイクアップ用のテーブルがあった。
「ここに腰掛けて」
黒とクロームのお洒落な椅子を勧められた。
キャロリンは銀色のアルミニューム製のスーツケースを引っ張ってきて、その両脇の留め金をパチンと外した。
スーツケースの上半分が鞄のように分離された。
そのケースを白い化粧台の上に置き、ケースの上面の留め金を二つ外し、カバーを開けると四段のトレイが階段状に展開した。
キャロリンはケイラの顔を真っ直ぐ見て、ケイラの顎を下から手のひらで触った。そしてケイラの顔を左右に少し動かすと「お化粧して来なかったのね。良い子だわ」と言った。
メイクアップ・アーチストはモデルが勝手にお化粧することや、その前の撮影で別のメイクアップ・アーチストが施した化粧を残したままにすることを嫌う。
キャロリンはたっぷり一時間かけてケイラにメイクを施した。
エレベーターが開いて黒いTシャツに黒いジーンズの男性が入ってきた。黒いスーツケースを持っていた。
「ファブリッツィオ、ヘア・スタイリストだ」
「ケイラ・モルガンです。はじめまして」
またエレベーターが開いて、今度はキャスターの付いた洋服ラックを引いた、小柄な女性が入ってきた。
その女性は洋服ラックを奥の部屋まで引き込んでからケイラのところに来た。
「メイ・リー、アガサHのインターンです」
「ケイラ・モルガンです。はじめまして」
デザイナー、アガサHのオフィスはこのビルの三階にあり、ベニーが撮影をする際に洋服を貸与した。そうすることでアガサHは無料で新しい服のプロモーション写真が撮れた。このアレンジはフォトグラファーにとっても好都合だった。ドレスの調達に頭を悩ます必要がないからだ。


メイ・リーはケイラの姿をじっくり観察すると洋服ラックの中から次々に五着の服を選び出し、それを更衣スペースのハンガーに掛けた。
ベニーがそこへやってきて、「これと……これと……これにしようか」と洋服を選んだ。
「それじゃ、これを先ず着てみて」
ケイラは淡いピンク色のモヘアのセーターを着た。それは薄手なので、体の線がくっきりと浮き出た。同じ色のショーツは丈が短かった。
ファブリッツィオはベニーとちょっと言葉を交わして、軽くスプレーでケイラの髪の毛をスタイリングした。
「それじゃ、撮影を始めよう」
ケイラは大きな長方形のソフトライトボックスに囲まれた白い背景の撮影スペースの上に立った。
ベニーは露光計をケイラの顔の辺りに差し伸べ、光の具合を確認した。
「今日が初めてなんだって?」
「ええ、そうです」
ベニーは扇風機を回した。
「両手を軽く腰に当ててカメラを真っ直ぐ見て」
ベニーはケイラが動きはじめると、すかさずシャッターを切った。
「楽しい事を想像して」
「次は右足に全部の体重をかけて、左足をかるく前に交差して、手は太もものところに添えて」
「よーし、良い表情だ……」
「顎を少しだけ上に……」
「完璧だ」
三十分ほどして「じゃあ、次の服にいってみよう」と言った。
ケイラは更衣室に戻るとメイ・リーの助けを借りて、次の服を着た。黒いオーガンザを透して胸の谷間が見える、セクシーなイブニング・ドレスだった。
キャロリンはその服の夜の雰囲気に合わせて、ケイラのアイシャドウをラベンダー色の、パールの光沢のあるものに変えた。
ケイラは準備が整うと再び白い撮影スペースの前に戻った。
「すました顔をして」
ベニーはどんどんシャッターを切った。
「もう少しだけ、此方へ……」
「そうだ……その調子」

ベニーは背の高い台を持ってきてケイラの前に置くと「今度はビューティーショットを撮るから、台の上に肘をついて」と指示した。
「アップだから位置が決まったらなるべく顔を動かさないように」と言いながら至近距離からシャッターを切った。

結局、撮影が終わると午後三時を回っていた。
ケイラはフランクリン・スタジオを出て、ヴァリック街から鉄夫に電話した。
「ケイラです。いま、ベニーとの撮影が終わりました……特に問題ありませんでした……それじゃ、モデル・アパートメントに帰ります」

ケイラはモデル・アパートメントに帰る前に買い物するために近所を探検した。
フランクリン街を西に歩くと、ハドソン街に食料雑貨店があった。軒先に果物や花束が売られている。
店の中に入って、オレンジジュースとプラスチックのパックに入ったフルーツ・サラダとベーグルを買ってからモデル・アパートメントに帰った。

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