
ジェラルド・サイと言ったところで、大部分の読者はピンと来ないでしょうね。
でもフィデリティのカリスマ・ファンドマネージャー、ピーター・リンチは、前任者ジェラルド・サイが使っていた個室をあてがわれただけで、心が天に舞い上がるほど嬉しかったと回想しています。
つまり米国の投信業界の人々にとっては、サイは神格化された存在だったのです。
彼の登場は米国の投資信託の販売方法に大きく影響を与え、業界全体のスケールアップに寄与しました。
話は1952年に遡ります。
当時、ボストンでフィデリティ投信を経営していたエドワード・クロスビー・ジョンソン二世はスカダー・スティーブンス&クラークの友人から電話を貰います。
「ウチに若い中国人の見習いが居る。すごく頭の回転の速い男だ。でもウチには空きのポジションが無い。あんたのとこで、どうかね?」
ジョンソンは「それじゃ面接してみよう」と答えて、この求職者と面談しました。
就職面接に現れた青年は上海生まれの弱冠二十四歳の若者で、お父さんはフォード自動車の上海営業所のマネージャーでした。
ジェラルド・サイと名乗るこの若者はウェズリアン大学(難関校です)に入学したもののコネチカットの田舎のキャンパスが気に入らず、ボストン大学に転校し、「上海の経済発展」という修士論文を書き、テキスタイル会社やベーチェ証券を転々とした、せっかちな男でした。
ジョンソンは一目見てこの青年を気に入ります。
それというのもジョンソン自身がこの中国人の青年と同じような考え方をしていたからです。
ジョンソンは1898年にボストン郊外の由緒ある乾物屋CFハビーの番頭の倅として生まれました。ジョンソンの家系は清教徒としてマサチューセッツに入植したジョン・ジョンソンの血を引いています。
ジョンソンはミルトン・アカデミーに入学します。ミルトン・アカデミーは日本で言えば慶應の塾高みたいなもので、ケネディ家の子息が通う高校として有名です。そして「お定まりのコース」としてハーバード大学、そしてハーバード・ロー・スクールに進み、ボストンのかしこまった弁護士事務所、ロープス&グレイに就職します。
しかしジョンソンは株が好きで弁護士事務所の自分の部屋の壁にローソク足のチャートを張り巡らせ、パートナー達が眉をひそめるような浮いた存在でした。
ジョンソンは有名な投機家、ジェシー・リバモアの伝記『Reminiscences of a Stock Market Operator』を愛読し、とりわけ生まれやコネに関係なく、自分の才覚だけでのし上がってゆく姿に感動します。「リバモアってのは、何て奴だ! いつも全財産を賭してやがる。こんな必ず大失敗する方法を、この男は心から愛している。相場に対峙するときのリバモアは、大砲の撃ち合いのまっ最中に海賊船の船尾に泰然と座って指揮しいているドレーク提督みたいだ。すばらしい(Glorious)!」
1935年にジョンソンはボストンの小さな投信会社、インコーポレーテッド・インベスターズの顧問弁護士になり、結局、19年勤めたロープス&グレイを辞め、インコーポレーテッド・インベスターズの財務部長になります。その4年後、同じボストンの小さな投信会社、フィデリティを買収する機会が訪れます。
当時の投信会社は「管財人」というメンタリティが強かったです。実際のところ法律的には投信会社は管財人とは全く別物だったのですが、ボストンはいわゆる「プルーデントマン・ルール」発祥の地であり、それは1830年のマサチューセッツ高裁のサミュエル・パトナム判事の有名な判例に元を辿ることができます:
このような伝統がこの街にはあったので、1924年に米国初の投資信託会社、マサチューセッツ・インベスターズ・トラストとステートストリート・インベスティング・カンパニーという二つの企業がボストンで生まれた事には必然的な理由があったと言えるでしょう。
厳密に言えば、親の死後、その遺産を子供に相続する際は、子供が管財人を選ぶわけではありません。これに対し、投信会社の場合、そこへおカネを預ける投資家が、ファンドを選ぶわけです。
だから法律的にも投信会社は管財人に適用されるルールではなく、運用会社に適用される法律(1940年証券法)に縛られるべきです。でも当時はそういう枠組みに関係なく、投信会社はあたかも管財人のような振る舞いをすることが望ましいと考えられていました。
ジョンソンは「株式投資は結婚ではない。いやむしろ密通(liaison)のようなものであると思う」という考えの持ち主でした。だから当時のボストンの運用コミュニティでは明らかに異端でした。ただジョンソン自身は、そのような華麗なスキルは持ち合わせていなかったのです。
一方、ジェラルド・サイは幼少の頃、母に連れられて上海の取引所に行き、母が相場を張るのを見ながら育ちました。
サイはいつもテキパキ仕事をこなし、実利優先で、野心があり、エネルギッシュで、理路整然としており、アグレッシブでした。
『ザ・ニューヨーカー』のコラムニスト、ジョン・ブルックスは「サイは東洋の神秘的なオーラを持ち、そのノワール的な陰影のある印象は『M』のピーター・ローレや『東京ジョー』の早川雪舟を想起させた」と書いています。
(つづく)
(文責:広瀬隆雄、Editor in Chief、Market Hack)
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ジョンソンはミルトン・アカデミーに入学します。ミルトン・アカデミーは日本で言えば慶應の塾高みたいなもので、ケネディ家の子息が通う高校として有名です。そして「お定まりのコース」としてハーバード大学、そしてハーバード・ロー・スクールに進み、ボストンのかしこまった弁護士事務所、ロープス&グレイに就職します。
しかしジョンソンは株が好きで弁護士事務所の自分の部屋の壁にローソク足のチャートを張り巡らせ、パートナー達が眉をひそめるような浮いた存在でした。
ジョンソンは有名な投機家、ジェシー・リバモアの伝記『Reminiscences of a Stock Market Operator』を愛読し、とりわけ生まれやコネに関係なく、自分の才覚だけでのし上がってゆく姿に感動します。「リバモアってのは、何て奴だ! いつも全財産を賭してやがる。こんな必ず大失敗する方法を、この男は心から愛している。相場に対峙するときのリバモアは、大砲の撃ち合いのまっ最中に海賊船の船尾に泰然と座って指揮しいているドレーク提督みたいだ。すばらしい(Glorious)!」
1935年にジョンソンはボストンの小さな投信会社、インコーポレーテッド・インベスターズの顧問弁護士になり、結局、19年勤めたロープス&グレイを辞め、インコーポレーテッド・インベスターズの財務部長になります。その4年後、同じボストンの小さな投信会社、フィデリティを買収する機会が訪れます。
当時の投信会社は「管財人」というメンタリティが強かったです。実際のところ法律的には投信会社は管財人とは全く別物だったのですが、ボストンはいわゆる「プルーデントマン・ルール」発祥の地であり、それは1830年のマサチューセッツ高裁のサミュエル・パトナム判事の有名な判例に元を辿ることができます:
管財人に必要なのは信義(faithfully)に基づき健全な判断(sound discretion)で投資を進めることである。分別ある大人(men of prudence)が判断や理性に基づいた行動を取るように金利収入や元本の安全に十分気を配ることで永続的な計画(permanent disposition)に基づいた行動をするべきであって、その場限りの投機はいけない。
このような伝統がこの街にはあったので、1924年に米国初の投資信託会社、マサチューセッツ・インベスターズ・トラストとステートストリート・インベスティング・カンパニーという二つの企業がボストンで生まれた事には必然的な理由があったと言えるでしょう。
厳密に言えば、親の死後、その遺産を子供に相続する際は、子供が管財人を選ぶわけではありません。これに対し、投信会社の場合、そこへおカネを預ける投資家が、ファンドを選ぶわけです。
だから法律的にも投信会社は管財人に適用されるルールではなく、運用会社に適用される法律(1940年証券法)に縛られるべきです。でも当時はそういう枠組みに関係なく、投信会社はあたかも管財人のような振る舞いをすることが望ましいと考えられていました。
ジョンソンは「株式投資は結婚ではない。いやむしろ密通(liaison)のようなものであると思う」という考えの持ち主でした。だから当時のボストンの運用コミュニティでは明らかに異端でした。ただジョンソン自身は、そのような華麗なスキルは持ち合わせていなかったのです。
一方、ジェラルド・サイは幼少の頃、母に連れられて上海の取引所に行き、母が相場を張るのを見ながら育ちました。
サイはいつもテキパキ仕事をこなし、実利優先で、野心があり、エネルギッシュで、理路整然としており、アグレッシブでした。
『ザ・ニューヨーカー』のコラムニスト、ジョン・ブルックスは「サイは東洋の神秘的なオーラを持ち、そのノワール的な陰影のある印象は『M』のピーター・ローレや『東京ジョー』の早川雪舟を想起させた」と書いています。
(つづく)
(文責:広瀬隆雄、Editor in Chief、Market Hack)
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