なんかこう抱きしめたくなるような愛おしさを感じるんです、ニコラス・ダーバスには。

ターバスはハンガリー生まれの移民です。彼は第二次大戦の際、ブタペストはナチスかソ連かのどちらかに支配されてしまう……そんな国にとどまるのはイヤだ! という思いから、偽造ビザで脱出します。そして義理の妹とダンスのパートナーを組み、巡業師になるわけです。それが混乱の戦中・戦後の時代を、なんとかサバイバルするための方便だったのです。

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彼らは「ダーバスとジュリア」という芸名で、ジュディ・ガーランドやボブ・ホープと同じステージに立ったといいますから、芸人としてはトップクラスだったと推察されます。

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でもダーバスはもともとブダペスト大学では経済学を専攻する学生だったので、知的好奇心は強いわけです。

あるときカナダから巡業依頼が来ます。依頼主は「現金ではなく、株で興行フィーを支払っていいか?」と申し出ます。このツアーはあいにく都合が合わず実現しなかったのですが、ダーバスはエンターテイメント業界人として、つきあいからその株を買います。

その頃のダーバスは各国からひっぱりダコだったので、買った株のことはすっかり忘れていました。ところがある日株価をチェックしてみると、大化けしています。これですっかり株の魅力にとりつかれてしまったダーバスは、初心者がやる間違いを、全部一通り犯します。

彼を一躍有名にした本、『私は株で200万ドル儲けた』では、そのへんのダーバスの試行錯誤の様子をくまなく書いているのですが、ひとつひとつ失敗の原因を除去してゆく彼の工夫の様子は個人投資家がお手本にすべき学習態度です。

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一例として、彼は「で、銘柄、どれですか?」という風に、手当たり次第に事情通と思われる人達にTip(=囁き銘柄)を訊ねることで、勝ち馬に乗ろうとします。

しかし全然儲からず、銘柄は、人に聞くものじゃないという初歩的な常識を身銭を削ってようやく体得します。

また、熱くなって短期で値ザヤを稼ごうとしても、手数料ばっかりかかって、手元に残る利益は知れているということも学びます。

さらに「百戦百勝」はありえないということを早く悟り、己のちからの限界を知る事で、見込み違いをした時には(あ、またオレは見込み違いをしたな)とクールに、そして傷口が大きくならないうちに、サクサク損切りできることも発見しました。

証券マンも信じない、アナリストや、相場の御神託を告げてくれるカリスマも信じない……だけど何よりも、自分自身の能力を信じない、、、そういう冷徹な態度を、授業料を払いまくった末にようやく備えるわけです。

そして「勝率なんて、しょせん50:50に限りなく近い。しかも投資家は手数料というものを払わないといけないのだから、フツーにやっていたら、足が出る。するとだゾ、損は早目にぶった切って、利が乗っている持ち株は、なるべく引っ張れるようにするための、自分なりのルールが必要なんじゃないか?……」という風な考えに発展してゆくわけです。

そこで編み出された彼独特の手法が「ボックス理論」と呼ばれるものです。


「株には普通、自然な上下がある。ナチュラルな下限と上限というものを自ずと形成し、大半の時間は、その中をゆらゆらと動いているだけだ。だけどそのボックス圏から上放れる場合がある。そして水準がひとつ切り上がると、その新しいレベルで、再びボックスを形成する」

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これがダーバスの発見なわけです。彼はダンサーなので、ダンサーならではの観察をそこに織り込みます。

「ボックス圏を上放れた場合でも、そのままスルスル騰がるということは稀だ。ちょうどダンサーがジャンプするとき、一旦、屈んでバネのように跳躍力をつけなければいけないのと同じように、ブレイクアウトした株もちょっと下押しし、跳躍力をつける必要がある」

そしてボックスが、ちょうどピラミッドの巨石を積み上げるように階段状に右上がりになっているような株を選ぶべきだというのが、彼の主張なわけです。

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つまりボックスを上放れて、一旦、以前のボックスの上限(=これをレジスタンス、ないしは上値抵抗線といいます)まで下げたところで買うと良いというわけです。

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その場合、ストップロス(=損切りの逆指値)注文を必ず置き、その水準(=緑の線)より下に株が下がった時(=いわゆるブレイクダウン)は、自動的にサヨナラすることを心掛けるというものです。

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これはある意味、シストレの先駆けであるという風にも言えるかも知れません。

なおダーバスが「200万ドル稼いだ」という主張に対しては、「実際は、その10分の1ほどだったのではないか?」という疑念が後に出され、ニューヨーク州司法長官が調査命令を出すというオマケがつきました。しかしこれは後に「捜査状をとりつけていない不法調査であり、言論の自由の侵害だ」という判決が出て、無罪放免になっています。

実際のところ、ダーバスのパフォーマンスは1957年から1959年にかけての強気相場に助けられた面も多く、またパフォーマンス的にも200万ドルではなく20万ドルの方が信憑性が高い気がします。

ただダーバスのストーリーのポイントは、そこじゃないんです。

肝心な部分は、彼が求道的とすら言える研究心で自分のアプローチに改良を加えて行った、その相場に対する姿勢にあるわけで、特に成功だけを吹聴するのではなく、失敗にも目をそむけず、むしろ失敗の残骸を丁寧に検証することで同じミスを繰り返さないようにつとめた点にあるのです。

読者は努力家ダーバスの「手法」に学ぶのではなく、「姿勢」に学ぶべきです。