僕は他の人の書いた記事やコメントは基本、読まないんです。得る物ないから。(笑)

でもひとつだけブラウザーにブックマークして読んでいるブログがあって、それは大橋ひろこサンの「ボラタイルな」ブログです。

つまり、ファンです。

さて、先日の連邦公開市場委員会の声明文に関する彼女の記事の中で、ひとつどうしてもジジイ臭いお節介なアドバイスをしておきたい箇所があったので、僭越ながらこのエントリーをしたためています。

今回の声明文では「とうぶんの間(considerable time)」と「辛抱強く(patient)」という両方の言葉が併記されました。

(ついでに言えば、ロイターやゼロヘッジなど、沢山のメディアやブロガーが「辛抱強くに変わった!」と飛び付き、誤報しました。プロ根性の無い奴らです。おまいらケツ噛んで、死ね!)

で、僕が伝えたかった部分というのは、独特の「FEDトーク」とも言うべき隠語のニュアンスです。

「とうぶんの間」というのは、翻訳すると「あと6か月は、利上げしませんから」という意味です。

「辛抱強く」というのは、翻訳すると「2か月は放置プレイにしておいて、その後、この問題を再検討します」という意味です。

これらの単語は、少なくともFOMCの声明文というコンテクストでは、それ以外の意味は持ちません。

今回の声明文では「とうぶんの間」という表現を「債券買入れプログラムが終了して……」という文章と引っ掛けて、同じ文脈の中で使いました。すると債券買入れプログラムが終了したのは10月、現在はすでに12月ですから:

6 - 2 = 4

つまりこの先、4か月は「とうぶんの間」という表現の「抑え」が効いていると解釈すべきなのです。

言い換えれば、2015年4月までは利上げはしないという意味です。

単純に「とうぶんの間」を残しただけなら2015年6月まで利上げしないということをシグナルしてしまうし、完全に「辛抱強く」に移行してしまうと、2015年2月以降は、どう転ぶかわからないことになってしまい、緊迫感が漂ってしまいます。そこでその中間あたりに着地させるために、このような芸の細かさを見せたわけです

さて、マーケットですが、昔から僕が口を酸っぱくして言ってきたように、最初の利上げの局面では、マーケットはそれに敬意を表する格好で一回、下げます。

今回のケースで言えば、先の非農業部門雇用者数の数字が強かったあたりから(今回、「とうぶんの間」という表現が削除されるのは、仕方ないな)というムードが市場に広がり、マーケットがギクシャクしたわけです。

そして今回、イエレン女史から「ぶちかますわよ、だからもう観念しなさい!」と引導を渡されたわけです。

不思議なもので、にんげん痛い思いを一旦、通り越すと、もう後は苦痛でなくなるわけで。これは(こんな比喩を使うと良識派の方々からボコボコに凹まされそうだけど)言ってみれば「ロスト・バージンの法則」です。

なぜイエレン会見以降、マーケットが過去3年間でパーセンテージ・ベースで最大の急騰を演じたか? ……それは「初夜」完了ユーフォリアが出たからです。

だから、これは偶然ではなく、必然です。

僕は相場の全ての事象をエロいことに喩えて表現する悪いクセがあり、日頃からそのことで読者の皆さんから糾弾されます。

しかし僕がこういうコミュニケーション術を習得するに至った理由は、実は社会人になってからのオン・ザ・ジョブ・トレーニングによるところが大きいのです。

僕は大学のとき、PUNKバンドの真似事したりして遊びまくっていて、大学3・4年の頃など、一週間に1日程度しかキャンパスに顔を出しませんでした。つまりチョー落ちこぼれ学生です。

それで就活に際しても全くノー・アイデアだったところ、ある日ゼミの先輩から「おい、ちょっと呑みに行こう」と誘われ、そのままその先輩の勤める建設会社に就職しました。(この会社は、後に倒産しました)


で、京都の工事現場で帳簿つけたり、職人さんのコーヒーカップ洗ったりする仕事を1年足らずしました。

幾らなんでも大学まで出て炊事係みたいなコトやってるんじゃつまらないということで、京都の四条河原町あたりにあるキリスト教会がやっている英会話教室(=ふつうの英会話スクールでは授業料が高すぎるので)で英会話を勉強し、海外プラント輸出のアドミをやっている会社に転職したわけです。

それで3年ほど中東やバングラなどをウロついた後で、見切りをつけて証券業に転身しました。

プラントの仕事はとても自分の性に合っていて、今でもあの頃がいちばん充実していたと思うけど、なにせ毎日、原油価格が下がってプラント業界全体が儲からなくなってしまったのです。

それで(この次は金融かな?)と目星をつけて、準大手の証券会社に転職しました。(この会社は、後に倒産しました。僕が就職する日本企業は、全部潰れるというジンクスがあります)

でももともと大学でファイナンスや経済学を勉強したわけではないし、株と債券の違いすら知らずに証券会社の中途採用の募集に応募したので、証券外務員試験も合格ギリギリの70点でかろうじてパス、営業成績もどん尻でした。

そんなわけで完全にお荷物社員だったわけですが、自分の働いているフロアより一階下のフロアに外国株式課があり、そこのゴミ箱にアメリカの証券会社から送られてきた英文のリサーチ・レポートが捨ててあるのに目が止まりました。CJローレンスという証券会社のエド・ハイマンというエコノミストが毎週出している経済レポートです。そのレポートはグラフやチャートの上に、手書きでコメントが大書してある、マンガ風の読み易いレポートで(これなら僕でもわかるな)と感じました。

それで「このレポート、もらっていいですか?」と外国株式課の人たちに断わって、毎週、ゴミ箱に捨ててあるレポートを漁って、家に持って帰って読んだわけです。

当時は日本株のバブルの絶頂期だったので、世界の証券会社は日本に進出したくてウズウズしていた頃でした。ソロモン・ブラザーズが東証の外国証券の会員権取得の第一号から漏れて、「ウォール街の王者としての威信を傷つけられた」とか何とか、わけわかんないことをほざいていた頃です。

それで英語の出来る社員なら、実務経験があろうがなかろうが、どんどん外資に引き抜かれるような状況になっていたわけです。で、僕はSGウォーバーグという会社から声が掛り、ニューヨーク支店勤務になりました。

SGウォーバーグに決めた最大の理由は、僕の上司になるひとが、愛読していたCJローレンスの出身であり、エド・ハイマンの経済レポートの中にある「モロサニ指数」という経済指標を考案した人だったからです。

ニューヨークのトレーディング・ルームでは、部長の隣の席があてがわれ、じきじきに相場のイロハを徹底的に仕込まれました。

僕の最初の仕事は、「トニー・ソロモンのお食事会」の世話役でした。トニー・ソロモンはSGウォーバーグの副会長で、元NY連銀総裁です。

ニューヨーク連銀はウォール街のおひざ元なので、連邦準備制度理事会(FRB)とマーケットとの間をつなぐ、重要なパイプ役です。現在のNY連銀総裁は元ゴールドマンサックスのエコノミストのビル・ダッドリーですが、その前は有名なティム・ガイトナーでした。

で、トニー・ソロモンは1980年から85年までNY連銀総裁を務めました。

「トニー・ソロモンのお食事会」は月一回開催されて、NY連銀総裁をリタイアしたトニーが名誉職として就任したSGウォーバーグの副会長としての、唯一のオブリゲーションだと言っても良いでしょう。つまり機関投資家などウォーバーグの上得意のお客だけを集めて、月一で昼食会を持ち、昼間っからお酒を飲みながらFRBの裏話を無礼講風に聞くという催しです。

マンハッタンの七番街と五十一丁目にあるエクイタブル・ビルの最上階は、全てダイニングルームになっており、イオニア様式の柱が並んだエントランス・ホールには専用の受付があり、礼服を着た執事がうやうやしくゲストを迎えるという、まるで『ダウントン・アビー』みたいな、わけわかんない世界が展開しているわけです。

僕の仕事はトニーに「今日はソロス・ファンドと、アライアンスと、タイガーが来ています」という風に出席者のリストを説明し、ネーム・プレートを用意したりすることでした。

まあそういう敷居の高い会合だったので、いきなりウォール街の金融界の大御所みたいな人たちの集いに紛れ込んでしまったというわけです。

ところがそのお食事会で議論されているコトといえば、僕がよく言及する「凧揚げ理論」、つまり中央銀行はイールドカーブのショートエンドだけしか操作できないので、ロングエンドをどう誘導してゆくか? というのが腕の見せ所になるという議論や「ストリッパー理論」、つまり中央銀行は、しょせん結果がわかりきっている方向へ市場を誘導するにあたって、サプライズを交えながらメリハリをつけて市場をリードしないとトラクションを失う……など、そういう市場との対話の機微だったわけです。

(ハイファイナンスの神殿では、こんなけしからん比喩でもって中央銀行論が語られているのか……)

これは僕にとって目からウロコが落ちるような経験だったし、いきなりキョーレツな洗礼を受けた思いがしました。ある意味、上司のジョンが僕に用意したのは、これ以上のものは無い、最高の英才教育だったのかも知れません。

僕が恥ずかしげもなく平気でエロい相場論を語るのは、そういう理由によるのです。