山本五十六がハーバード大学に留学した話は知っている人も多いと思います。

でも彼がハーバードで米国の石油産業などについて勉強していたとき、ロックフェラーのスタンダード石油(現在のエクソン・モービル)から「うちに来い!」とジョブ・オファーがあった話は、余り知られていません。

そりゃそうですよね? 帝国海軍を代表してアメリカに敵の手の内を探るための勉強に行っているのに、そのままスタンダード石油に転職してしまったら、非国民ものです。

だからスタンダード石油から誘いがかかった話など、本人が帰国後、吹聴して回るはずはありません。

でもアメリカの文献にはそのへんを赤裸々に書いてあるものがあって、結構、面白いです。

ところで真珠湾攻撃の前夜、太平洋における各国の海軍力は下のグラフのようになっていました。

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アメリカ、イギリス、オランダの海軍力を合計しても、日本の方が勝っていたと言えます。

しかし上のデータはものごとの一面だけしか捉えていません。

なぜなら当時、日本は原油ならびに石油精製品の輸入の大部分をアメリカに頼っていたからです。

アメリカは日本を刺激したくなかったので、原油の禁輸措置を何度も検討し、結局、見送りました。

しかし1938年に日本軍が218回にわたり中国の重慶で爆撃を繰り返し、特に1939年7月6日の爆撃ではアメリカ大使館に近い教会に爆弾が直撃し、ルーズベルト大統領はしぶしぶ日米通商航海条約の破棄ならびに原油の禁輸を決断します。

その結果、日本の原油・石油精製品の輸入は激減します。当時、日本は石油の88%を輸入に頼っており、その80%アメリカから買っていました。

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これが日本を真珠湾攻撃という大胆な戦略に追いやった、直接のきっかけです。

ところで当時の世界の原油生産は下のグラフのようになっていました。

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つまりアメリカが圧倒的だったということです。

そのアメリカを敵に回すことになると、日本は急いで原油の代替供給元を探さなければいけません。そこで日本が攻めたのが、オランダ東インド諸島です。

スマトラ島のパレンバン、ボルネオ島のバリクパパンなどの油田をおさえたわけです。でもそれらの地域から産出される原油には限りがあり、いかに無理があったかがわかると思います。

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同様に、ドイツもGTL(Gas to Liquid)とよばれる石炭からディーゼルを得る合成燃料技術をすすめていたものの、それだけでは足らないので、ルーマニアの油田を盗りに行きました。いずれにせよ、無理のある話です。

ところで開戦前夜、日本は原油をアメリカに依存していただけでなく、タンカーも依存していました。日本のタンカーは世界の3%のみでした。

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これを一番上の海軍力のグラフと比較すると、如何に日本の戦争計画が杜撰だったかわかります。

アメリカは戦争が始まるとどんどんタンカーや輸送船を建艦して、強力な物量サポートを行います。

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なお上のグラフでは日本のタンカーの数は横ばいになっていますが、たぶんこれは実情を反映していないと思います。なぜなら日本のタンカーはどんどんアメリカに沈められたからです。

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太平洋戦争後期、戦艦武蔵などが、日本本土を守るというよりブルネイを拠点としたのは、そこに残り少ないエネルギー源があり、それを守る必要があったからです。

もともと数が少なかったタンカーが、どんどん沈められたことで、もう日本に石油を運ぶ事すらままならなくなり、南洋で身動きがとれなくなったという見方も出来ると思います。

戦争ひとつやるにしても、経済がわからなければダメ……このことを、このエピソードは物語っていると思います。


(文責:広瀬隆雄、Editor in Chief、Market Hack

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