フィナンシャル・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナルといった普通ならイノべーティブな企業に好意的なメディアが「シェアリング・エコノミー」に懐疑的な記事を載せ始めています。

そのひとつはFTのイザベル・カミンスカで「シェアリング・エコノミーとは実際のところレント・シーキングを目的とする中間搾取の王様に他ならない」と指摘しています。

ウォールストリート・ジャーナルのクリストファー・ミムズは「およそシェアリング・エコノミーでシェアされるのは労働(labor)だけであり、利益は業者が取る」ことを指摘しています。

これらの記者はそれぞれヘッジファンドやテクノロジーの専門家であり、新しいモノ、ならびに自由経済に精通している論客です。普通ならウーバーに代表されるシェアリング・エコノミーを支持に回ると思われるこれらの記者が警鐘を鳴らしているのは一聴に値すると思います。

シェアリング・エコノミーの業者は特定の労働のマーケットプレース、すなわち余剰労働力のマッチングの「場」を運営することで「ショバ代」を徴収しています。

それが余剰労働力の市場である限り、労働の対価は最もコストが安い方へと収斂すると考えるのが自然です。

つまり経済学的にはウーバーに代表されるシェアリング・エコノミーのマーケットプレースは非正規雇用形態の蔓延にターボチャージをかける、正規雇用破壊最終破壊兵器になることが予想されるわけです。

タクシー業が免許などによって規制されているひとつの理由は、「一定の安全やサービスの質を担保するためには、どうしても規制が必要」という考えによります。

もちろん免許制は、それ自体が利権を生む原因となり、既得権益やサービスの質の低下などの問題を生みます。だから免許制が絶対に良いと主張したいのではありません。

僕が言いたいのは、シェアリング・エコノミーが制度を「迂回する」ことで「安上がり」にすることは、サービスやコストの面でもちろんメリットもあるけれど、規制や既存秩序の破壊は、しばしばデメリットももたらすということです。

一例として1929年に「暗黒の木曜日」でニューヨーク株式市場が大暴落し、そのとき預金者のおカネを預かる金融機関と株式市場で相場を張る金融機関が同一だったために株をやっていない一般の預金者にとんでもない迷惑がかかったことがありました。

その苦い経験からグラス・スティーガル法という法律ができて、証券と銀行が分離されたわけです。

ところが1980年代になって「グラス・スティーガル法は時代遅れだ。いまはテクノロジーが発達しているので、デリバティブなどによりリスクはヘッジできる」という議論が生じ、証券と銀行の分離は廃止されました。

その後に起こったのがデリバティブ市場の肥大化が引き起こしたリーマンショックというわけです。

世界の政府がウーバーの「抜け道商法」に規制の網をかけようとしている問題は、そういう観点から考え直す必要があると思います。

僕ですか?

僕はマーケットプレース至上主義者だから、ウーバー株が上場されたあかつきには当然乗りたいです。でもそれは「相場に乗る」ということで、ウーバーの運転手をやりたいということではありません。ウーバーは貧困への超特急(笑)

搾取されるよりも、搾取する側(=株主)の方が、いいに決まっているじゃん!