例の『21世紀の資本』を書いたロックスター的経済学者、トマ・ピケティが、先週、「過去にデフォルトしたドイツが、ギリシャに説教する立場にない」ということを指摘し、そのあたりからドイツの強硬な姿勢にたいする周囲の目が、しらーっとしました。

(え、ドイツって、過去にデフォルトしたの?)

そう思う読者も居るかと思います。

結論的には、しました。2回も(笑)

それだけじゃありません。1953年には債務を50%減免してもらっています

まあ、だれにでも黒歴史はあるわけだから、僕が意地汚くドイツの過去をあげつらうことはしたくないけれど、ドイツが借金を半分にしてもらった経緯というのは、よくメルケルが口にする「欧州のプロジェクト」の根幹をなす精神です。

だから少々、込み入っているけれど、ちゃんと説明しておく価値はあると思います。

あ、ついでに言えば、僕がず~っと「ギリシャはユーロを離脱しないし、デフォルトも無い」という立場を貫いてきた理由は、突き詰めて言えば今日、これから書くような事情によります。

【首都決戦】
話は第二次世界大戦に遡ります。

1945年4月、欧州戦線が最後のクライマックスを迎えました。200万のソ連軍が、ベルリンを包囲しました。

ベルリンを守るドイツ兵は70万前後、何十万人ものベルリン市民もドイツ兵同様、四方を敵に囲まれてしまったのです。

遠くに響く迫撃砲の音は、日に日に大きくなり、食糧は払底し、女・子供たちはアパートの地下室に集まって、最後の瞬間を、息を詰めて待ちました。

玉砕という言葉がありますが、ヒトラーが指示したのは、文字通り「玉砕するまで戦え!」ということです。

このベルリンの戦いは双方で18万人の死者を出し、第二次世界大戦史上、三番目に犠牲者の多い戦いになりました。

結果は皆さんも知っての通り、ソ連の勝利。ヒトラーはベルリン陥落の報を聞いて自殺します。

ベルリンになだれ込んできたソ連軍は、隠れているドイツ人女性を見つけると、次々にレイプしました。一説には10万人にも及ぶ女性が乱暴されたそうです。その少なからぬ人々は出血多量で死に、また気が狂ってしまったそうです。

このときの恐怖は、『A Woman in Berlin』という本に克明に記録されています。

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(出典:映画化された『A Woman in Berlin』)

これはそんな風にしてベルリンに閉じ込められてしまった女性が、ソ連軍の到来を諦めた気持ちで待ち、自分たちの隠れ家が発見され、そこから引きずり出されて、輪姦されたあげく、仲間のところへ帰ろうとすると、同胞から裏切られる話です。

本書は1959年に初版が「作者不詳」で出されました。本当の作者はマルタ・ヒラーズという、ベテランのライター兼編集者なので、この日記は、淡々とした中にも、静かな恐怖が美しい筆致で描き出されています。

この本が出たとき、ドイツ人からは「忘れてしまいたい過去を、いまさら晒して、どうする?」と不評を買いました。

またドイツは、そもそも戦争をはじめた側であり、ユダヤ人虐殺などの非人道的なことをやってきた側でしたから、ベルリンの女性たちが受けた酷い仕打ちは、世界からは同情されず、一笑に付され、やがて忘れられてしまいました。

この本は『アンネの日記』にも比する、隠れた名作なので、復刻を望む声もあったのですが、マルタ・ヒラーズはこの経験に懲りて、「わたしが生きている間は、もう二度と出版しないで!」と言いました。その彼女が2003年に死んだので、ようやく復刻版が出て、それが映画化されたというわけです。

【占領】
さて、ここで重要なのは、ドイツは細かい地域に分断され、連合国側の各国の軍隊により勝手に統治運営されたということです。

もともと占領地の運営は、連合国管理理事会によって一本化される予定でした。しかしポツダム会談にフランスが参加していなかった関係で、フランスは「うちはポツダム会談に呼ばれなかったから、そこで決まったやり方には従わない」として、独自の占領地の統治をはじめました。

これを見てイギリス、アメリカ、ソ連も、勝手な統治政策をはじめるようになったのです。

アメリカはドイツの占領地に食糧を与え、農業機械を持ち込み、産業の復興を目指しました。イギリスはルール工業地帯を占領していましたが、アメリカの占領地域と統合することで食糧を行き渡らせ、工業品を出荷できる体制にしました。

これに対してソ連はユンカー(地主)たちの土地をソ連風の価値観に基づき細かく分配し、社会主義的な運営をはじめました。

つまり占領地の運営をめぐって、アメリカの、資本主義による運営と、ソ連の社会主義による運営のどちらが上手く行くかの競争になったのです。

一方、この頃、ギリシャではソ連の支援する共産勢力とイギリスの支援する民主政府が、激しい内戦を繰り広げていました。

ウインストン・チャーチルはイギリスの首相として第二次世界大戦を指揮した人ですが、戦後、選挙に敗れ、在野の立場でした。チャーチルはトルーマンらと会談し、ミズーリ州で有名な「鉄のカーテン」演説をします。

いまやバルチック海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、一つの鉄のカーテンがヨーロッパ大陸を横切って降ろされている。(中略)だから手遅れにならないうちに、すべての国にできるだけ早く自由と民主主義を確立しなければならない。


この「鉄のカーテン」演説を聞いたスターリンは、当然、怒ります。スターリンは「プラウダ」紙で、チャーチル批判をします。

この対立が明らかになった翌年の1947年、アメリカの大統領、ハリー・トルーマンは議会演説し、「いまギリシャを支援しなければ、東ヨーロッパだけでなく西ヨーロッパにもソ連の影響が及んでくる」と訴えました。アメリカは資金面での援助をすることにより、赤の脅威の防波堤を築こうとしたのです。これがトルーマン・ドクトリンと呼ばれる考え方です。

続いてジョージ・マーシャル国務長官がハーバード大学の卒業式で演説し「マーシャル・プラン」の構想を明らかにします。アメリカは1951年までに120億ドルを欧州の復興に投じます。

ジョージ・マーシャルの演説に続いて、雑誌「フォーリン・アフェアーズ」上で、「ミスターX」という匿名の人物がソ連を封じ込める政策を採るべきだ」とする主張をします。これが有名なジョージ・ケナンであり、今日までもこの考え方がアメリカ外交の基本となっています。

このように欧州では北はドイツ、南はギリシャをどうするか?という問題が、冷戦構造の中でもとりわけ重要な衝突ポイントとして浮かび上がってきたわけです。

なおドイツは、西はアメリカなどが、東はソ連が占領していたわけですが、ベルリンだけは共同管理となっており、その西側をアメリカ、東側をソ連が管理していました。

【チョコレート作戦】
そのベルリンで、ソ連はアメリカを締め出す作戦に出ます。

ソ連を行動に踏み切らせた直接のきっかけは、まだドイツをどうするか? そしてベルリンをどうするか? という問題に関してアメリカとソ連の間の最終的な話し合いが合意に至っていないにもかかわらず、アメリカが西ドイツで、それまで使用されていたライヒスマルクを廃止し、ドイチェマルクという新通貨を導入したことによります。その交換比率は10対1でした。

アメリカが新しく印刷したドイチェマルクを、自分の管轄していた西ベルリンにも持ち込もうとしたとき、ソ連が西ベルリンにつながる道路という道路を全て封鎖してしまったのです。

西ベルリン市民は、ふたたび兵糧攻めに遭い、餓死する危険にさらされたわけです。

アメリカは、一時は戦車を繰り出し、物資補給のコンボイを護衛する方法を検討しましたが、これはソ連と戦争になってしまうので、断念しました。その代り、ベルリン大空輸と呼ばれる輸送機による救援物資の運び込みを決行します。

このときの舞台になったのはテンペルホフ空港です。

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(出典:ウィキペディア)

ベルリン大空輸は11か月に渡り、総計27万回の発着回数で、234万トンの物資が運び込まれました。最盛期には、テンペルホフ空港には、45秒に一機の割合で、西側の輸送機が着陸したのです。

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(出典:ウィキペディア)

この大空輸作戦を現場で指揮したのは米陸軍の兵站の専門家、「トン数のタナー(Tonnage Tunner)」ことウイリアム・タナー中将です。

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(出典:ウィキペディア)

また空輸作戦に参加したパイロットたちは、空からチューインガムやチョコレートを撒き、子供たちを狂喜させました。

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(出典:ウィキペディア)

もちろん、これは西側の宣伝効果を狙ったパフォーマンスでもあるわけですが、忘れてならないのは、当時、東ドイツ、ならびに東ベルリンの市民は、未だ毎日、喰うや喰わずの生活だったという点です。そこへ西ベルリンの空をみると、どんどんチョコレートやバブルガムが降ってくるわけです。

ソ連は、とうとうこの屈辱に耐えかねて、封鎖を解きます。

【欧州のプロジェクトとは、経済による統合を指す】
さて、ここで「欧州のプロジェクト(European Project)」という言葉を説明しておきます。冒頭で述べた通り、「欧州のプロジェクト」という言葉はブリュッセルの欧州連合本部でよく使用される言葉だし、メルケル首相も口にします。

「欧州プロジェクト」とは、文化や人種や言語や歴史の異なる欧州の人々を、まず経済を強くし、そして経済の統合度を高めてゆくことで仲良くし、ひとつにまとめるということを指します。

だからEUの前身がECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)という、鉄鋼の生産調整のための団体であったことは、偶然ではありません。

また「冷戦」における西側の最大の武器は、チョコレート作戦に見るような、経済を通じて市民のハートを掴むことでした。

【ドイツの借金の減免】
ドイツは第一次大戦に敗れ、フランスなどから賠償金を要求されました。しかし一回目の支払いをなんとかやりくりしただけで、後は払えなくなってしまいます。

アメリカは1924年のドーズ案、1930年のヤング案に基づく債務のリストラクチャリンを提案します。

しかし結局、これらの借金はデフォルトします。

それに加えて第二次世界大戦後にアメリカがマーシャル・プランでドイツに貸したカネも債務が払えなくなったので、1953年にロンドン債務条約を結び、マーシャル・プランでこしらえた借金の半分を棒引きしてもらいます。

ただ1953年の債務再編成には24年のドーズ案と30年のヤング案に基づく債務は含まれておらず、それらについては債務延長、過去の利子滞納分を、複利計算ではなく単利計算にすることがきまります。単利にすれば、借金が雪だるま式に増えることは無いので、これはバンカーたちだけに理解できる、すごい債務軽減なのです。

また第二次大戦後の未払い分は「東西ドイツの統合後に徴収する」ということが決まりました。

この交渉のドイツ側のリーダーになったのは、のちのドイツ銀行頭取、ヘルマン・ジョセフ・アプスです。彼はその後、ダイムラー・ベンツやルフトハンザの重役も兼任しました。

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(中心の人物がアプス、出典:ウィキペディア)

アプスはボン大学で法律を学びましたが、演劇を勉強するため英国で2年間を過ごしており、その時に同じく演劇に傾倒していたシグムンド・ウォーバーグと演劇を通じて親友になります。

アプスは卒業後プライベート・バンカーになり、1938年にドイツ銀行の取締役会に参画しますが、彼はローマ・カトリック教徒であり、信条の違いから、ナチス党員にはなりませんでした。

マーチャント・バンキングの業務を通じて、メンデルソーン、ブライシュローダー、ウォーバーグ家などの著名なユダヤ・ファミリーとも交流があり、ナチスの台頭後、それらのユダヤ系銀行がアーリア人の経営に移譲される際、ユダヤ人銀行家を自分のできる範囲内で最大限に助けました。

またドイチェバンクでは、後にドイツ金融界の大御所となるカール・クローゼン、アルフレッド・ヘルハウゼンなどの若手を育成したのです。

このアプスの人徳があったので、1953年の債務減免交渉では債権国はドイツに同情的でした。

ちょうどこの債務リストラが検討されているとき、東ドイツではソ連の戦車が住民のデモ行進を蹴散らしていました。つまりソ連は東ドイツの債務を減免することなど、これっぽっちも考えていなかったのです。

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アデナウアー首相はドイツの債務を西ドイツと東ドイツの面積によって案分することを拒否しました。ベルリンの壁は、当時、まだ作られておらず、ドイツが完全に東西に引き裂かれることは確定していませんでした。だから、ここでドイツの借金を西ドイツの借金と東ドイツの借金にハッキリ二分すると、ドイツの分断が確定してしまうというわけです。

アメリカ、イギリスは、そこまで酌量してドイツの借金の棒引きに合意するわけです。

【ヘルムート・コールと、メルケル、ショイブレ】
その後、ベルリンの壁が出来て、ドイツは完全に東西に分断されます。国土が二つに切り裂かれてしまったのはドイツ国民にとって、とても悲しい事件であり、それを元に戻すのは国民の悲願でした。

これをライフワークとしたのがヘルムート・コール首相です。かれは16年間、首相を務めました。これはビスマルク以来、最も長い任期です。

コールは「ドイツが、他の国のことを配慮せずに東西ドイツの統合を試みれば、周囲からまた軍事大国化するのではないか? という疑惑をかけられ、実現しない。だから率先して経済の統合を進めることで東西ドイツ統合を周辺国に許してもらおう」と考えます。

だから「欧州のプロジェクト」は常に前進していなければいけないのであり、そもそもそのルーツとなったギリシャを弾き出したら、シャレにならないわけです。

コール首相はメルケルとショイブレの両方のメンターです。ショイブレはコールがあまりに長く首相の座を占めているので、それに反発しますが、ちょうどコールが辞めたときにスキャンダルが発覚し、首相の座をメルケルに譲らざるを得なくなります。

つまりメルケルとショイブレはライバルだということ。

ドイツの知識人は上に書いてきたような経緯はちゃんと知っています。でも下層階級の人たちはそういうことを知らないし、単純な人種的偏見からギリシャ人を蔑んでいます

この下層階級におもねって、ギリシャ批判をやると人気がどんどん高まるので、ドイツの政治家は、ややもするとそういう安易な国民感情に訴えるアプローチで人気取りをします。

結局、ショイブレはエコノミストではないし、ギリシャに対する切詰めの強要が、どんなに経済学のセオリーからみて馬鹿げているか? ということに対する理解は浅いと思います。でもライバルのメルケルに対してプレッシャーをかけるには、こうするのが一番なのです。

メルケルも当初はギリシャ問題に対して冷淡でしたが、車椅子のヘルムート・コールが「我々はどうやって東西ドイツ統合の悲願が達成されたか、その過去の歴史や苦しみを、忘れるべきではない。メルケルは欧州のプロジェクトの大事さを、ぜんぜんわかっていない」と、きわめてエモーショナルなスピーチをし、あからさまなメルケル批判をしました。

このとき、恩師にボロクソ言われたメルケルは、落雷に打たれたように全身わななき、顔面蒼白になったと言われます。それ以降、メルケルは、心の底ではどんなことがあってもユーロ圏をバラバラにしてはいけないと誓い、それ以降は、重大局面では、必ずドイツが譲歩するということを、今日まで続けてきたのです。

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PS:ギリシャを救済するとドイツが多大な負担を強いられるって?……

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朝飯前でしょ。

だからこの問題はギリシャの弁済能力や、ギリシャ人が勤勉かどうか? というような問題では、決してありません。

あくまでもドイツ国内の、political footballです。

PPS:コメント欄で読者の方から「南欧諸国は支出削減がすすまない」との発言がありました。下はIMFのデータです。ご参考まで。

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