英国労働党の党首を選ぶ選挙でジェレミー・コービンが圧勝しました。
これはマーガレット・サッチャーの登場以来、英国が歩んできた新自由主義(市場原理を信じ、個人の自立と利益追求を社会の活力の源泉とする考え方)の路線にNOを突きつける出来事だと思います。
ジェレミー・コービンは平等でフェアな社会を理想に掲げており、大きな政府、強力な労働組合、高所得者層に対する重い課税などを主張しています。
彼はさらに1980年代以降に次々に民営化された旧国有企業の一部を、再び国有化することを主張しています。1970年代に閉山した炭鉱も、再び開鉱すべきだと主張しています。
コービンが議員になったのは1980年代ですが、これまでずっと影の薄い存在でした。かつてアンディ・ウォーホールが「誰でも15分は有名になれるだろう」と言いましたが、いよいよコービンにも「その15分が回ってきた!」という感じです。
僕はコービンの飾らない人柄に、ある種の清涼感を覚えます。
彼の暮らしは質素で、趣味は自家菜園で取れた果物でジャムを作る事です。マイカーは持っておらず、どこでも自転車で出かけるそうです。
そのような彼のメッセージが、多くの英国の有権者の心に響いている背景には、酷くなる一方の格差問題があると思います。
マーガレット・サッチャーのヒーローがF.A.ハイエクならば、ジェレミー・コービンのヒーローはカール・マルクスです。
カール・マルクスは、資本主義は格差を助長するシステムであり、アンフェアであると主張しました。
そこでは資本家がどんどん搾取し、その結果生じる貧富の差が、資本主義システムを維持出来ないほどに広がったときに資本主義は崩壊するというわけです。
ケインズやハイエクがいかに資本主義を手懐けるか? ということに思いを巡らせたのに対し、マルクスは資本主義そのものを放棄することを提唱したのです。このためマルクスは共産主義の父と言われています。
残念ながら「資本主義は崩壊する」というマルクスの預言は当りませんでした。
それどころか1989年の「ベルリンの壁崩壊」で共産主義の失敗が浮き彫りになりました。共産主義は労働者に自由をもたらす筈でしたが、現実は収容所列島の例に見られるように、そうなりませんでした。言い換えれば警察国家だけが残ったのです。
さらに言えば、共産主義はそれを採用する国家に繁栄をもたらす筈でしたが、現実にはそうなりませんでした。それはモノが不足し、食糧を買うにも行列しなければいけなかったソ連や、文化大革命当時の、飢餓線上ギリギリの貧困を経験した中国を見れば明らかです。
このため、マルクスの共産主義に関する理論は、もう誰も信じていません。でもマルクスが資本主義に対して行った批判は、今日でも示唆に富んでいます。
格差の拡大が社会不安の原因になるというマルクスの指摘は正しいし、「資本主義は、その存在そのものに不安定性を内包している」というのは事実です。
マルクスは資本主義社会で暮らす人々は、資本家と労働者に二分できると主張しました。資本家は常に利益の極大化を目指します。その一環として、資本家は労働者への賃金を押さえようとするわけです。
しかしこれは回り回って、資本家の首も締めることになります。なぜなら労働者が貧しいと、ビジネスが量産した財の買い手がなくなるからです。需要不足が不況を引き起こすというわけです。
しかし第二次大戦以降の欧米の経済を見ると、このマルクスの預言は、間違っていたと言えます。なぜなら経済は急成長を見たし、労働者は最近まで、資本の生み出す利潤の、より大きなパイの分け前に与かることが出来たからです。
資本主義は経済が通過するひとつの局面であり、いずれ崩壊するというマルクスの考えは、間違っており、現実には利潤追求は、より豊かな社会をもたらしました。
ただし、それは「ごく最近までは…」と言うべきかも知れません。
マルクスは資本主義が成熟すればするほど大きな危機を招くと預言しましたが、それはリーマンショックで経済が混乱するまでは余り見られませんでした。
1847年にロンドンのソーホーにあるレッドライオン・パブでマルクスとエンゲルスは『共産主義宣言』を書き上げました。この本には、鋭い観察がてんこ盛りになっています。
そこでは「資本家は自分の魔術をコントロールできなくなった魔法使いに似ている」と書かれています。そして資本家は自分の創造した魔術によって滅び、プロレタリアートが勝利するというわけです。これはリーマンショックを彷彿とさせるものがあります。
マルクスの著作は世界各地で発禁本となり、英国だけで出版が許されていました。マルクスは労働者の賃金は生存ギリギリの水準まで下がり、その水準を維持すると考えました。しかし実際には労働者の賃金はコンスタントに上昇したのです。このためマルクスが預言したような労働者の反抗は起こりませんでした。
1856年頃までにはマルクスは豊かになりハムステッド・ヒースに住み、ブルジョワ的生活を送りました。セクスィで情熱的な奥さんのジェニー、美しい子供たちに囲まれた、階級闘争の微塵も感じられない満ち足りた生活です。

マルクスを慕ってハムステッド・ヒースまで彼に会いに来る革命の志士たちに対してマルクスは「条件が整わないと革命は起きないよ」と言うだけで、焦っている感じは全然ありませんでした。
マルクスは革命が起こった後、どのような社会が来るかについては、極めて言葉少なく、曖昧で、中身のある提言はしませんでした。
マルクスの理論では高度に資本主義が発達し、行き着くところまで行ったときに革命が起きるはずでしたが、実際は最も貧しく、資本主義が発達していない国々で相次いで共産主義が生まれました。
しかも共産主義がユートピアを提供するという期待空しく、実際には独裁、恐怖政治、貧困などがそれらの国々で起きたのです。
まとめると、マルクスの資本主義に対する批判や洞察には鋭い点、価値ある点がありましたが、マルクスは資本主義を放棄した際、それに代わるものとして示した共産主義のロードマップは雑すぎただけでなく、間違いだらけで、とんだ災いをもたらしたのです。
ジェレミー・コービンの主張の問題点は、我々が歩んできた過去から、何も学んでいないという点です。大衆は忘れっぽいし、オツムが弱いので、ウケを狙うなら「お花畑社会主義」をぶら下げるのが、最もカンタンな方法というわけです。
低所得者層のルサンチマンをくすぐり、カラッポな約束をすることで有権者の歓心を買うことなら、誰にだってできます。
いまの英国は、ヴィジョンのかけらもない情けない国に成り下がりました。ジェレミー・コービンの登場は、atavism以外の何物でもないのです。
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ジェレミー・コービンは平等でフェアな社会を理想に掲げており、大きな政府、強力な労働組合、高所得者層に対する重い課税などを主張しています。
彼はさらに1980年代以降に次々に民営化された旧国有企業の一部を、再び国有化することを主張しています。1970年代に閉山した炭鉱も、再び開鉱すべきだと主張しています。
コービンが議員になったのは1980年代ですが、これまでずっと影の薄い存在でした。かつてアンディ・ウォーホールが「誰でも15分は有名になれるだろう」と言いましたが、いよいよコービンにも「その15分が回ってきた!」という感じです。
僕はコービンの飾らない人柄に、ある種の清涼感を覚えます。
彼の暮らしは質素で、趣味は自家菜園で取れた果物でジャムを作る事です。マイカーは持っておらず、どこでも自転車で出かけるそうです。
そのような彼のメッセージが、多くの英国の有権者の心に響いている背景には、酷くなる一方の格差問題があると思います。
マーガレット・サッチャーのヒーローがF.A.ハイエクならば、ジェレミー・コービンのヒーローはカール・マルクスです。
カール・マルクスは、資本主義は格差を助長するシステムであり、アンフェアであると主張しました。
そこでは資本家がどんどん搾取し、その結果生じる貧富の差が、資本主義システムを維持出来ないほどに広がったときに資本主義は崩壊するというわけです。
ケインズやハイエクがいかに資本主義を手懐けるか? ということに思いを巡らせたのに対し、マルクスは資本主義そのものを放棄することを提唱したのです。このためマルクスは共産主義の父と言われています。
残念ながら「資本主義は崩壊する」というマルクスの預言は当りませんでした。
それどころか1989年の「ベルリンの壁崩壊」で共産主義の失敗が浮き彫りになりました。共産主義は労働者に自由をもたらす筈でしたが、現実は収容所列島の例に見られるように、そうなりませんでした。言い換えれば警察国家だけが残ったのです。
さらに言えば、共産主義はそれを採用する国家に繁栄をもたらす筈でしたが、現実にはそうなりませんでした。それはモノが不足し、食糧を買うにも行列しなければいけなかったソ連や、文化大革命当時の、飢餓線上ギリギリの貧困を経験した中国を見れば明らかです。
このため、マルクスの共産主義に関する理論は、もう誰も信じていません。でもマルクスが資本主義に対して行った批判は、今日でも示唆に富んでいます。
格差の拡大が社会不安の原因になるというマルクスの指摘は正しいし、「資本主義は、その存在そのものに不安定性を内包している」というのは事実です。
マルクスは資本主義社会で暮らす人々は、資本家と労働者に二分できると主張しました。資本家は常に利益の極大化を目指します。その一環として、資本家は労働者への賃金を押さえようとするわけです。
しかしこれは回り回って、資本家の首も締めることになります。なぜなら労働者が貧しいと、ビジネスが量産した財の買い手がなくなるからです。需要不足が不況を引き起こすというわけです。
しかし第二次大戦以降の欧米の経済を見ると、このマルクスの預言は、間違っていたと言えます。なぜなら経済は急成長を見たし、労働者は最近まで、資本の生み出す利潤の、より大きなパイの分け前に与かることが出来たからです。
資本主義は経済が通過するひとつの局面であり、いずれ崩壊するというマルクスの考えは、間違っており、現実には利潤追求は、より豊かな社会をもたらしました。
ただし、それは「ごく最近までは…」と言うべきかも知れません。
マルクスは資本主義が成熟すればするほど大きな危機を招くと預言しましたが、それはリーマンショックで経済が混乱するまでは余り見られませんでした。
1847年にロンドンのソーホーにあるレッドライオン・パブでマルクスとエンゲルスは『共産主義宣言』を書き上げました。この本には、鋭い観察がてんこ盛りになっています。
そこでは「資本家は自分の魔術をコントロールできなくなった魔法使いに似ている」と書かれています。そして資本家は自分の創造した魔術によって滅び、プロレタリアートが勝利するというわけです。これはリーマンショックを彷彿とさせるものがあります。
マルクスの著作は世界各地で発禁本となり、英国だけで出版が許されていました。マルクスは労働者の賃金は生存ギリギリの水準まで下がり、その水準を維持すると考えました。しかし実際には労働者の賃金はコンスタントに上昇したのです。このためマルクスが預言したような労働者の反抗は起こりませんでした。
1856年頃までにはマルクスは豊かになりハムステッド・ヒースに住み、ブルジョワ的生活を送りました。セクスィで情熱的な奥さんのジェニー、美しい子供たちに囲まれた、階級闘争の微塵も感じられない満ち足りた生活です。

マルクスを慕ってハムステッド・ヒースまで彼に会いに来る革命の志士たちに対してマルクスは「条件が整わないと革命は起きないよ」と言うだけで、焦っている感じは全然ありませんでした。
マルクスは革命が起こった後、どのような社会が来るかについては、極めて言葉少なく、曖昧で、中身のある提言はしませんでした。
マルクスの理論では高度に資本主義が発達し、行き着くところまで行ったときに革命が起きるはずでしたが、実際は最も貧しく、資本主義が発達していない国々で相次いで共産主義が生まれました。
しかも共産主義がユートピアを提供するという期待空しく、実際には独裁、恐怖政治、貧困などがそれらの国々で起きたのです。
まとめると、マルクスの資本主義に対する批判や洞察には鋭い点、価値ある点がありましたが、マルクスは資本主義を放棄した際、それに代わるものとして示した共産主義のロードマップは雑すぎただけでなく、間違いだらけで、とんだ災いをもたらしたのです。
ジェレミー・コービンの主張の問題点は、我々が歩んできた過去から、何も学んでいないという点です。大衆は忘れっぽいし、オツムが弱いので、ウケを狙うなら「お花畑社会主義」をぶら下げるのが、最もカンタンな方法というわけです。
低所得者層のルサンチマンをくすぐり、カラッポな約束をすることで有権者の歓心を買うことなら、誰にだってできます。
いまの英国は、ヴィジョンのかけらもない情けない国に成り下がりました。ジェレミー・コービンの登場は、atavism以外の何物でもないのです。
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