1906年にサンフランシスコ大震災が起きます。それによって発生した大火事でサンフランシスコ市の家屋の80%が焼失し、3,000人が死亡しました。

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この災害で損害保証会社は保険金の払い出しをしなければいけなくなり、緊急のキャッシュが必要となりました。

しかしサンフランシスコの銀行にはゴールドのじゅうぶんな準備が無かったため、米国の他の地域から延べ棒を移送しなければいけなくなりました。

ナショナル・シティ・バンクの番頭、ヴァンダーリップは、パリで漫遊中のジェームズA.スティルマンに「ニューヨークの金塊が、どんどんサンフランシスコに流れ出している!」と報告します。ナショナル・シティ・バンクのNY本店からは3,000万ドルに相当するゴールドがサンフランシスコへ向けて運び出されました。

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(ヴァンダーリップ、出典:ウィキペディア)

ヴァンダーリップの咄嗟の判断で海外から金を輸入したので、ナショナル・シティ・バンクの準備は払底しませんでしたが、この危機一髪の事件に遭遇して、スティルマンはウォーバーグの「米国は中央銀行を必要としている」という論文を思い出します。

1907年になるとニューヨークでは過去最悪の金融パニックがおこり、それまで頑なに中央銀行という概念を毛嫌いしてきたアメリカの実業界や金融界でも風向きが変わりはじめます。

そこでロードアイランド州の上院議員、ネルソン・オルドリッチは中央銀行法の草案の起草に着手します。

1910年にオルドリッチは米国中央銀行の構想を練るため、隠密で有識者の会合を招集します。その場所は、わざとウォール街から遠く離れたジョージア州の大西洋に面したリゾート地、ジェクル・アイランドです。

オルドリッチが声をかけたのはJPモルガンのシニア・パートナーだったヘンリー・デイビソン、ナショナル・シティ・バンクのフランク・ヴァンダーリップ、ハーバード大学の助教授から財務省の高官に転身したピアット・アンドリュー、そして構想の中心人物であるポール・ウォーバーグの四人です。

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(ヘンリー・デイビソン、出典:ウィキペディア)

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(ピアット・アンドリュー、出典:ウィキペディア)

表向きの名目はアヒル撃ちに行くというもので、ウォーバーグは狩猟用ライフルとカートリッジを買い、狩猟に行く格好をしてペンシルバニア駅からオルドリッチが用意した特別車両に乗り込みます。その客車はマホガニーの木目パネル、真鍮、ベルベットなどで豪華に装飾されたものでした。

彼らが到着したジェクル・アイランド・クラブは、1885年に設立された最もステータスのあるプライベート・クラブで、その常連客はロックフェラー、モルガン、ヴァンダービルト、プリツカーなどでした。240エーカーという広大な敷地の中には野生のアヒル、雉、鹿、イノシシなどが生息しており、ゴルフ場もありました。

なお、ジェクル・アイランド・クラブはこの極秘のミーティングが行われた当時の面影をほとんどそっくり残したまま現在は普通のホテルになっているので、誰でも宿泊することが出来ます。



さて、オルドリッチが集めたグループは、このような理想的な環境の中で中央銀行の構想を練るわけですが、夜明けとともに起床し、サイクリング、水泳をした後、朝食を取り、暖炉のあるミーティング・ルームに終日籠って、その日に狩猟された雉や鹿、海で採れたオイスターなどを食べながら精力的に仕事をしたそうです。そして葉巻をくゆらせながら深夜まで議論を重ねました。

彼らはイングランド銀行に代表される中央銀行をイメージとして描いていたわけですが、アメリカの国民や議会からは「中央銀行」という名称を使っただけでアレルギー反応が出ることがわかっていたので、「ユナイテッド・リザーブ・バンク(United Reserve Bank)」という名前が当初使われました。

それは「連邦制度」に基づいたものでした。その意味するところは各地域に、その地域だけで独立して運営される準備銀行を設立し、それらの独立した準備銀行がゆるく連携することで、連邦銀行群を形成するというものでした。

それらの準備銀行はそれぞれの地域で独立性をもって運営されるというのが基本構想でしたので、金利などもわざと自主性、独立性をもって思い思いに設定できるようにしました。

それらの準備銀行が中央の準備銀行へ預金した場合、それは「準備金」として記帳されました。また、中央に預金する以外でも地方の準備銀行が自行内で保管している準備についても、連邦銀行群全体の準備とし、必要に応じて、ひとつの準備銀行から他の準備銀行へと移送できるようにしたわけです。

このようにリサーブ(準備)をすべてフィラデルフィアやニューヨークといった中央に集めてしまうのではなく、わざと地方に留め置くようにした理由は、サンフランシスコ大地震の時のように、ある地方で突然、取付けが起きた時、「見せ金」をいかに早く準備するか? が一刻を争う重要なポイントになるからでした。アメリカは国土が広く、おカネをすぐに移送できない……その認識が、今日の地区連銀にも受け継がれているというわけです。

この「ユナイテッド・リザーブ・バンク」という名称は、その後、法案を通りやすくするために「ナショナル・リザーブ・バンク(National Reserve Bank)」、そしてさらには「フェデラル・リザーブ・バンク(Federal Reserve Bank)」と改称されてゆきます。そしてその連峰を成す地域連銀をひとつにまとめるのが連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board)」というわけです。

結局、この構想が日の目を見るのは、ジェクル・アイランド・クラブでの隠密会合の三年後、開明的なウッドロー・ウイルソン大統領の下でした。

さて、これは余談になりますが、ネットでは「金融ユダヤ」とか、そういうわけわかんない陰謀論を展開する人が散見されます。今日紹介したジェクル・アイランド・クラブでの密会は、ある意味、陰謀論者から「それみたことか! だから、全ては陰謀なのだ!」と批判されても仕方ない、秘密めいたやり方でした。

でも上にも書いた通り、庶民の銀行に対する疑いの目や、逆に銀行家がこそこそとやらなければいけなかった事情は、普段、陰謀論者の方々が見落としている大事なディテールではないでしょうか?


FRBって、なぜこんなケッタイな名称になったの? 1/2