マスコミやSNSでは「イギリスがEUから離脱しさえすれば英国民の雇用の安定が保たれ、高騰していた住宅問題が解消し、イギリスが国家の主権を取り返す……」というようなレベルの低い議論が展開されています。

イギリスがEUを離脱しても低所得者層の暮らし向きは良くならないし、失業率は悪化するでしょう。特に、離脱で一番痛い目に遭うのは低学歴の低所得者層です。住宅問題は解消せず、格差は、ワープスピードで拡大すると思われます。ロンドンの金融街シティは、タックスヘイヴンであるパナマのように胡散臭い取引と、ずるい方法で蓄財した世界の大富豪たちの避難港になる恐れがあります。

思うに、人々は本当に忘れっぽいし、歴史から何も学ばないですね(笑)

まず今回の英国とEUを巡るドタバタ喜劇は、初めての事ではなく、2回目のイベントであり、イギリスの将来を決定付ける「運命の日」は6月23日ではなく、1992年の「ブラック・ウエンズデー」だった(過去形)という点を、しっかり認識して下さい。

あの日、イギリスは精一杯努力した甲斐も無く、市場の力にねじ伏せられる格好で、共通通貨ユーロの前身となるERM(ヨーロピアン・エクスチェンジレート・メカニズム)から、はじき出されてしまうのです。

下はその時の動画です。トレーディング・ルームで慌てて駆け出すトレーダーの様子を見てください。あの日が英国にとって「忌まわしき日」だったことが再確認できるでしょう。



つまり僕が言いたい事は、こんにち英国が共通通貨ユーロではなくポンドを使用しているのは名誉ある孤高の決断でも何でもないということです。

それは英国が「落ちこぼれ」であるしるしです。若気の至りで入れた、安っぽくて醜い入れ墨のように、決して消し去ることが出来ない黒歴史に他ならないのです。

当時は欧州域内での「ヒト、モノ、カネ」の動きを自由にする、マーストリヒト条約の批准を巡って、各国が国民投票を行っていました。ちょうど今週木曜日の英国でのレファレンダムと同じです。

ところがデンマークがマーストリヒト条約に「NO」の票決をします。デンマークは小国なので大した影響はないけれど、次に控えたフランスの国民投票で「NO」が出たら……為替市場の緊張は、極度に高まります。

イギリスは経済のファンダメンタルズが弱く、投機筋のターゲットになります。(ジョージ・ソロスがポンドを空売りして「イングランド銀行を破産させた男」として勇名を馳せたエピソードは、このとき生まれました)

そこでイングランド銀行は一気に政策金利を2%の幅で利上げし、さらにそれをいきなり3%の幅で利上げし、15%(!)にするという、まるでアルゼンチンとかブラジルを彷彿とさせるとんでもない方法で通貨防衛を試みます。

そんなに金利を吊り上げたら、イギリス経済は瞬時に大不況になることを理解した投機筋は「それっ!」とばかりにポンドを売ったわけです。

ERMからはじき出され、ロンドンの金融街シティが、ヨーロッパの金融センターとしての地位を保てなくなるかもしれない危機に瀕し、英国政府や監督当局が行ったことは、規制をなるべく緩くするということです

お金というものは、自由な方へと流れます。

そのことを英国政府は良く理解していたので、シティの規制や監督は、常に欧州大陸のそれに比べて「ゆるふん」になるように、意図的に持って行きました。それは英国議会についてもあてはまることで、議員さんがシティの膨張を抑制するような主張をしたら、非国民のレッテルが貼られんばかりの圧力がかかります。

つまり英国にとって金融サービスは、日本のコメのように神聖かつ不可侵な領域なのです。

ERMからはじき出された英国は、そのように「基準を下げる(Lowering one’s standards)」ことで世界の投資銀行やヘッジファンドのビジネスを招致し、繁栄を維持したわけです。

それまで高級住宅地だったメイフェア界隈が、ヘッジファンドのオフィス街に変貌を遂げたのは、このようなきっかけによります。

さて、今回、EU離脱派は「欧州大陸のビジネスを失っても、オフショア人民元のトレーディング・センターになればよい」と主張しています。これは全く正しい主張で、たぶんその方が経済成長は出しやすいでしょう。

しかしオフショア人民元には出所不明のいかがわしい資金も沢山含まれています。つまり堅物の欧州企業を相手に商売するより、中国の成金のお金の「逃げ場所」を提供するほうが安易な途なのです。

ちょうどパナマやケイマン諸島がパラサイト的な脱税マネーを駆除できないのと同じように、ロンドンもそういうアングラ・マネーに依存する体質になる兆候は、すでにあちこちに見られています。

英国がEUを離脱すると英国の製造業は大陸市場にアクセスしにくくなるので、空洞化が進みます。すると雇用市場は悪化するでしょう。惨殺されたジョー・コックス議員は、主に「地元の製造業をまもるにはEUに残留した方がよい」という地元の声に押されて残留派になったのです。

つまり僕が言いたい事は、製造業の雇用が失われると、それを回復するのは至難の業(これは日本人の我々が良く理解しています)だけど、金融業はパナマ化することで、いくらでも世界中のずるがしこいお金を引き込んでくることが出来るということなのです。

だから金融街シティは今後も安泰だし、パークレーンにあるウクライナの富豪のアパートやアラブ人の金ピカのロールスロイスが消えることは無いのです。

ついでに言えば、移民の規制をすれば英国の庶民が有利になるかといえば、それはそうではないと思います。なぜなら金融街シティは常に移民たちによって牛耳られてきたからです。ただ庶民は無知なので、その事実を知らないだけです。

一例として英国で最も古いマーチャントバンクだったベアリング・ブラザーズは1762年にフランシス・ベアリングとジョン・ベアリングによって創業されました。彼らの父はドイツのブレーメン生まれの移民です。ベアリング・ブラザーズはアムステルダムのホープ&カンパニーと提携することにより飛躍しました。また当時の新興国アメリカを商売のタネにすることで繁栄しました。

有名なN.M.ロスチャイルド&サンズは1811年にネイサン・メイヤー・ロスチャイルドによって創業されました。ネイサン・ロスチャイルドはフランクフルトから英国に移民しました。その理由は、産業革命でイギリスでは繊維産業などの新しいビジネスが栄えていた事と、ロンドンの金融街はユダヤ人に寛容だったことによります。ロスチャイルドは欧州の政府に戦費を用立てることで飛躍しました。

ヨハン・ハインリッヒ・シュローダーの場合、ハンブルグ出身で、1818年にロンドンでJ.ヘンリー・シュローダー&カンパニーを創業します。シュローダーズはロシアのビジネスに強かったです。

さらにデンマークの商人、カールJ.ハンブロは1839年にロンドンでC.J.ハンブロ&サンを創業します。ハンブロスは北欧のビジネスが得意でした。

ジュニアス・スペンサー・モルガンは1854年に英国のジョージ・ピボディー&カンパニーにパートナーとして入社します。ピボディーがリタイアした後、ジュニアス・スペンサー・モルガンが首席パートナーとなり、社名をJ.S.モルガンに変更します。J.S.モルガンは1910年以降、モルガン・グレンフェル&カンパニーという社名になります。ジュニアス・スペンサー・モルガンの息子、J.ピアポント・モルガンは1871年にドレクセル・モルガン&カンパニーとしてフィラデルフィアで創業しますが、アンソニー・ドレクセルの死後、J.P.モルガンという社名に改名します。彼らは出身国であるアメリカとのパイプの太さをウリに商売を広げて行きます。

このようにバンカーの世界は常にコスモポリタンであり、宗教的、政治的、経済的な自由ならびに寛容の精神に満ちているわけです。

なぜなら、金儲けするためには、そうならざるを得ないからです。

「EUを離脱することで主権を取り戻す」とか「イギリス人をピュアーに保つ」とか叫んでいる連中は、所詮、世の中の仕組みを知らない下流です。

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