今日、こういうツイートが目に入ったので、それに触発されて記事を書きます。



上のツイートは、VALUの上場者が二つのグループに分かれ始めているということを指摘しているのだと思います。

1. 金儲けだけを考えている人
2. クリエイターや頑張っている人を支援する場として捉えている人


ちなみにVALU社の目指すところは、2.のように見受けられます。



この二つのグループは、今後も反目し合い、ゆくゆく全面対決につながると僕は思っています。

説明します。

皆さんは大学生活が終わりに近づくと紺色のリクルート・スーツに身を包み、就活をしますよね?

そこでは「東大卒」などのブランドが幅を利かせます。

そして「○○銀行」のような就職先に採用が決まれば、(もう俺の人生は安泰だ)と思うわけです。つまり「勝ち組」です。

彼らは年功序列賃金体系のレールの上に乗ったわけだから、なるべく粗相をしないように、波風を立てないように働きます。

そして、その他大勢の若者は、非正規の雇用形態を、しぶしぶ受け入れるわけです。

この時点で、アンフェアな競争が始まってしまうと言い直しても良いかと思います。

これは現代版、アンシャン・レジームだと思います。

しかしVALUが登場したことで、そういう出世のレールに乗れてない人、言い換えれば「負け組」でもVALUで支持を獲得する道が開けました。

学歴、コネ、所属会社などの呪縛からの解放という意味でVALUは真に平等な機会を提供しているわけです。

ある意味、これは「負け組の革命」です。

そして自分のVAを上場してみて(え、私のVAって、こんなに高く評価されるの?)と驚いた人も多く出ています。

それは(株式公開益とは、こんなに凄いものなのか!)という開眼に他なりません。

日本でこれまでゼッタイだと信じられてきた雇用慣習が、突然、色褪せたものになるわけです。

一方、時間を切り売りする奴隷にすぎないサラリーマンにしてみれば、青空天井のようなVALUの価値は、驚き以外の何物でもなく、悔しくて、羨ましくて、ゼッタイに許せない、ふざけた社会現象かもしれません。

しかし、人々は強制されてVALUを買っているのではありません。VALUを持つ満足感は、それを購入した人だけに帰属するものであって、それを他人がとやかく言う筋合いのものではないのです。

なぜならVALUは株ではなく、あくまでもトレーディング・カードのようなものですから。

このように、月給などのカタチで明らかにされる若者への評価と、VALUで付く時価評価が大幅にかけ離れるひとつの理由は、人的資本の値付けの難しさに由来すると僕は思っています。

一般に、物的資本より、人的資本の方が、それにふさわしい値付けが難しいです。言い換えれば、人々の能力や潜在力に、幾ら払うか? という命題に対する正解は、出たとこ勝負になるというわけです。

日本の企業は、年功序列の賃金体系を採用することにより、この命題に対する回答を探す努力を、放棄してしまっています。

(自分の価値は、こんなに凄かったのか!)

この「気付き」は、ある意味、ギリシャ神話でプロメテウスが人類に「火」を与えたエピソードに似ています。

火の使い方を知った人間は、他の動物とは一線を画す存在になりました。この場合の「火」とは、ナリッジ(知識)に他なりません

つまりプロメテウスは、人間に、知恵をつけてしまったのです。

全知全能の神、ゼウスは、火を盗んで人間に与えたプロメテウスを罰します。プロメテウスは山の頂に鎖でつながれ、鷲に臓物を食べられるという罰を受けるのです。

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VALUの公開益は、プロメテウスの「火」に似ています。

資本主義って、つまりこういう事だったのか!

という「悟り」がそこにあるのです。

投資銀行では、このような株式の魔力をThe Power of Equity(パワー・オブ・エクイティー)と呼びます。

フェイスブックのマーク・ザッカーバーグをはじめとするアントレプレナーが、途方も無くリッチになるメカニズムが、これなのです。

このような、獰猛で破壊的なエクイティーのパワーを、どう手なずける? ということは、資本市場の永遠のテーマでした。

いま、株式市場や企業経営を一切知らない一般の若者が、いきなりこの途方もないパワーを手に入れたのです。

ちょうど『ロード・オブ・ザ・リング』で魔法の指輪を手に入れた者が、そのパワーに毒されて人が変わってしまうように、VALU公開者の中から、同様のカネの亡者が現れてくるのは時間の問題でしょう。


それらのひとは、冒頭の1.に属する人々です。

SBIソーシャルレンディング

これに対し、「いや、そうじゃない! VALUはクリエイターや頑張っている人を支援するための民主的なツールだ!」と主張する声も、今後、一層、強まると思います。

これはフランス革命で市民が権力を握った時、真の平等社会を目指す、ジャコバン党のようなグループが登場したことに似ています。

ジャコバン党は平等な社会構築を目指すためには、非常手段も辞さないという断固とした姿勢を打ち出します。ロベスピエールなどは、その例です。

そしてそれはテロル(恐怖政治)へとつながってゆくのです。

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結局、ルイ十六世やマリ・アントワネットだけでなく、ロベスピエールやサン・ジュストまでもが断頭台に上げられ、処刑されたのです。

革命の栄光、その高揚感が、恐怖と憎悪に代わったことを、我々は肝に銘ずるべきです。

VALUの登場で、これまでの日本社会の「負け組」は、突然、力を得て、いまユーフォリア状態になっています。

しかしそのパワーとともに、途方もない責任を我々は背負込んでいます。

この映画の結末が、悲惨なものにならないという保証は無いのです。


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