前回、ICOが人気化した背景の一つとして、IPO市場に元気が無くなっていることを指摘しました。
誤解して欲しくないのですけど、僕はICOを手放しに礼賛しているわけではありません。
それどころかICOの大半は詐欺だと思っています。
ICOは証券として登録されていないため、経営内容の開示などのルールが適用されません。それを悪用するICOの発行が相次いでいます。
その点、先日テックビューロが発表したICOソリューション、「COMSA」は、世界でも初の、ICOのベスト・プラクティスをパッケージ化したサービスだと思いました。
そこではICOにまつわる法務面でのキー・ポイントを、しっかりおさえて、現状で、最も手堅い法解釈の下、ICOを正しくストラクチャする指導を受けることが出来ます。
ICOの発行、預託、トレードに際しては、ビットコイン、イーサリアム、NEMなどのパブリック・ブロックチェーンとペグすることができるし、さらにはZaif取引所を経由することで米ドル、日本円などの法定通貨との交換も出来ます。つまりICO発行者にとっていちいち頭痛のタネになる、様々なハードルをCOMSAのプラットフォームを利用することで一気に超えることが出来るのです。
つまりCOMSAはICO発行者にとり、法務アドバイザーであり、インベストメント・バンカーであるわけです。
COMSA、そしてそれを提供するテックビューロのビジネス・モデルは、ある意味、古典的だと言えます。
たとえば北イタリアでは紀元前1200年頃、いろいろな都市国家が割拠していました。このためピサの町では7つの通貨単位が使用されており、商取引は困難を極めたのです。これは現在、仮想通貨が乱立している様子と似ています。
ところがローマ数字(I, II, III, IV, V, VI, VII, VIII, IX, X)は計算に適していませんでした。
その頃、中東の回教国ではアラビア数字というものが使用されており、それを聞きつけたピサの数学者、フィボナッチは世界最先端のノウハウを取得するためアラビアへ旅行する決意を固めるわけです。

(出典:ウィキペディア)
こうして、我々が今日使用しているアラビア数字が欧州へもたらされたのです。つまりフィボナッチは当時のベスト・プラクティスのエデュケーター(教育者)であり、エヴァンジェリストでもあったのです。
メディチ家は1390年頃まではマフィアであり、一族のメンバーの5人が、絞首刑になりました。
近代銀行業の開祖と言われるジョバンニ・メディチは、外国為替手数料を発明し、やくざ稼業から足を洗います。

(出典:ウィキペディア)
金利をチャージするとキリスト教のユーザリー(利息)禁止に抵触するので、「外枠コミッション」を採用したのです。
ジョバンニの息子、コズモ・デ・メディチは父親のビジネスを大きくスケールアップすることで、リスクに対する耐性を整えました。
メディチ家は、ライバル・ファミリーとの血の抗争を、フィランソロフィーという「文化の抗争」に置き換えることで隠然たる権力を誇示しました。これがルネッサンスを財政的に支援することになったのです。
一方、神聖ローマ帝国では無数のコインや借用書(IOU)が流通しており、商取引の妨げとなっていました。その両替や割引をするには、それぞれの通貨の価値や借用書の信用について詳しく知っている必要がありました。マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは1770年代にヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世の宮廷御用両替商として後に銀行業を営む際の資本を蓄積します。

(出典:ウィキペディア)
つまり「銀行」と聞くと我々は預金や融資を真っ先に思い浮かべますが、外国為替業務、もっといえば異通貨間での決済をスムーズに行うことで駄賃を貰うことは、貸付業務と同じくらい歴史があるのです。
こんにちの仮想通貨の世界は、フィボナッチ、メディチ、ロスチャイルドが活躍した時代同様、魑魅魍魎たるインチキ仮想通貨が跋扈する、カオスな状態です。
カオスな状態ということは、そこにニーズがあり、ビジネス・チャンスがあることに他なりません。
そこでは悪貨、良貨を峻別し、取引をスタンダード化し、トランザクションに「安心」の要素を持ち込む、信頼される宮廷御用両替商のような存在が、とても必要とされているのです。
まだわかりませんが、ひょっとするとCOMSAは、そういう存在になれるかも。
誤解して欲しくないのですけど、僕はICOを手放しに礼賛しているわけではありません。
それどころかICOの大半は詐欺だと思っています。
ICOは証券として登録されていないため、経営内容の開示などのルールが適用されません。それを悪用するICOの発行が相次いでいます。
その点、先日テックビューロが発表したICOソリューション、「COMSA」は、世界でも初の、ICOのベスト・プラクティスをパッケージ化したサービスだと思いました。
そこではICOにまつわる法務面でのキー・ポイントを、しっかりおさえて、現状で、最も手堅い法解釈の下、ICOを正しくストラクチャする指導を受けることが出来ます。
ICOの発行、預託、トレードに際しては、ビットコイン、イーサリアム、NEMなどのパブリック・ブロックチェーンとペグすることができるし、さらにはZaif取引所を経由することで米ドル、日本円などの法定通貨との交換も出来ます。つまりICO発行者にとっていちいち頭痛のタネになる、様々なハードルをCOMSAのプラットフォームを利用することで一気に超えることが出来るのです。
つまりCOMSAはICO発行者にとり、法務アドバイザーであり、インベストメント・バンカーであるわけです。
COMSA、そしてそれを提供するテックビューロのビジネス・モデルは、ある意味、古典的だと言えます。
たとえば北イタリアでは紀元前1200年頃、いろいろな都市国家が割拠していました。このためピサの町では7つの通貨単位が使用されており、商取引は困難を極めたのです。これは現在、仮想通貨が乱立している様子と似ています。
ところがローマ数字(I, II, III, IV, V, VI, VII, VIII, IX, X)は計算に適していませんでした。
その頃、中東の回教国ではアラビア数字というものが使用されており、それを聞きつけたピサの数学者、フィボナッチは世界最先端のノウハウを取得するためアラビアへ旅行する決意を固めるわけです。

(出典:ウィキペディア)
こうして、我々が今日使用しているアラビア数字が欧州へもたらされたのです。つまりフィボナッチは当時のベスト・プラクティスのエデュケーター(教育者)であり、エヴァンジェリストでもあったのです。
メディチ家は1390年頃まではマフィアであり、一族のメンバーの5人が、絞首刑になりました。
近代銀行業の開祖と言われるジョバンニ・メディチは、外国為替手数料を発明し、やくざ稼業から足を洗います。

(出典:ウィキペディア)
金利をチャージするとキリスト教のユーザリー(利息)禁止に抵触するので、「外枠コミッション」を採用したのです。
ジョバンニの息子、コズモ・デ・メディチは父親のビジネスを大きくスケールアップすることで、リスクに対する耐性を整えました。
メディチ家は、ライバル・ファミリーとの血の抗争を、フィランソロフィーという「文化の抗争」に置き換えることで隠然たる権力を誇示しました。これがルネッサンスを財政的に支援することになったのです。
一方、神聖ローマ帝国では無数のコインや借用書(IOU)が流通しており、商取引の妨げとなっていました。その両替や割引をするには、それぞれの通貨の価値や借用書の信用について詳しく知っている必要がありました。マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは1770年代にヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世の宮廷御用両替商として後に銀行業を営む際の資本を蓄積します。

(出典:ウィキペディア)
つまり「銀行」と聞くと我々は預金や融資を真っ先に思い浮かべますが、外国為替業務、もっといえば異通貨間での決済をスムーズに行うことで駄賃を貰うことは、貸付業務と同じくらい歴史があるのです。
こんにちの仮想通貨の世界は、フィボナッチ、メディチ、ロスチャイルドが活躍した時代同様、魑魅魍魎たるインチキ仮想通貨が跋扈する、カオスな状態です。
カオスな状態ということは、そこにニーズがあり、ビジネス・チャンスがあることに他なりません。
そこでは悪貨、良貨を峻別し、取引をスタンダード化し、トランザクションに「安心」の要素を持ち込む、信頼される宮廷御用両替商のような存在が、とても必要とされているのです。
まだわかりませんが、ひょっとするとCOMSAは、そういう存在になれるかも。