イーサリアム、ビットコインなどの仮想通貨が溶け溶けになっています。
既に多くの人が指摘しているように、昨日、「ゴールドマンサックスが仮想通貨トレーディングデスクを設置するのを見送ったらしい」というニュースが直接の引き金になったと思います。
それに加えて先頃ビットコインETFの申請が米国証券取引委員会(SEC)からまとめて「ダメ出し」されたことも響いています。
という大石某の呻き声が聞こえてきそうです(笑)
上記二つの事件が浮き彫りにしたことは「仮想通貨はいまのままではメジャーの世界にデビューできない」という事です。
それじゃ「メジャーの世界」って、一体何?
それは株・債券などの投資対象の世界です。
いま仮想通貨全体の時価総額は2028億ドルです。一方、債券の時価総額は96兆ドル、株式の時価総額は83兆ドルです。すると債券市場は473倍、株式市場は409倍、両方合わせて882倍もあるのです。
もちろん、仮想通貨クラスタはこれまで通り、世界に背を向けて、仮想通貨クラスタの中だけで細々と生きてゆくという選択肢もあるでしょう。
でも僕に言わせれば仮想通貨は「こいでないと倒れる自転車」、つまり前進し続けることをやめてはいけないと思うのです。
なぜなら「通貨はネットワーク」だから。
寛永通宝だろうが刀貨だろうが、およそ通貨のパワーはそれが通用する「流通圏」によって測ることが出来ます。
どこでも受け取って貰えない通貨はゴミだということ。
どんなに意匠が精巧で、まがいものが作りにくくても、そもそも受け取って貰えないものには通貨としての価値はありません。
ゴールドマンサックスの参入見送りとビットコインETFの却下は、端的に言えばFiatの世界が仮想通貨に対して「あんたら、来て要らない!」と門戸を閉ざしたことに他なりません。
もちろん、「ふん、Fiatなんかに相手にしてもらわなくてもいい。我々は、われわれだけの世界で生きてゆく」という考えがあっても良いと思います。僕はこの世界を積極的に支持します。
それじゃあ、その世界って、何だ?
と言えば、早い話、それはサイファーパンクたちが夢見たユートピア的世界と言えます。
サイファーパンクについては知らない人もいると思うのでちょっと言葉を足すと、まずサイファーというのは「暗号」という意味です。パンクというのは「悪ガキ」という意味です。
この両方を合わせたサイファーパンクは「デジタル社会が人々の基本的人権を侵さないようにするためにはプライバシーを擁護しなければいけない」という主張をしました。そして自分たちが独自に書いたソフトウェアによりプライバシーの擁護を押し進めてゆくと宣言したのです。
これは或る意味、1776年の独立宣言や1848年の『共産党宣言』に匹敵するような重要な主張です。
サイファーパックのエトスはリバタリアン的であり、「世界は俺たちを必要としていないし、俺たちだってあんたらを必要としないさ」という、ある種、反逆児的な気骨を持っていました。
つまり「俺たち独自の世界」というわけです。
仮想通貨は、そういう「俺たち」だけで通用する決済手段として、その独自の世界観を構築するためのひとつの礎として構想されたわけです。
その世界は「地下的」であり、既存の社会体制とは別に存在するという意味で「二重構造」であり、「裏の世界」なのです。
実際、仮想通貨が「決済の手段」として使われ、大成功を収めた例として違法ドラッグのバザールである「シルクロード」を挙げることができると思います。
「シルクロード」はリバタリアンのロス・ウルブリヒトによって開発・運営されていました。最初はハイになれるキノコを売っていたけれど、すぐにマリファナ、ヘロイン、コカインなども扱われるようになりました。その「シルクロード」での決済通貨がビットコインだったのです。なお彼はいま刑務所に収監されています。もう二度とシャバのお天道様を仰ぐことはありません。
つまり「決済の手段」としての仮想通貨の最初の大きな成功例は「ビットコインでビールやコーヒーが買える」ということではなくて、ドラッグマネーのトラフィッキングだったということです。
通貨にとって重要なことは、それが「誰によって発行されたか?」ということではありません。そうではなくて「誰に受け取って貰えるか?」、言い換えればそれを使う人が多ければ多いほど信頼度が高まるということなのです。
たとえばいま通貨危機に瀕しているアルゼンチンでは米ドルが重宝されています。これはもちろんアルゼンチン政府が出したものではありません。それでもアメリカの紙幣が信頼されている理由はアルゼンチンの多くの市民が喜んでそれを受け取るからです。
さて、イーサリアムやビットコインなどの話に戻れば、「俺たち独自の世界」という世界観は大いに結構だし、僕もそれには共感します。またブロックチェーン技術のエレガントさも素晴らしいと思います。しかし通貨にとって重要なことはそれが幅広く流通し、どこでも買い物が出来るということなのです。
それが出来ない以上、仮想通貨は一部のギークなオニイチャン、オネエチャンたちの玩具の域を出ないか、ドラッグマネー、テロリストマネーを動かす際の道具としての使い道しか無いのです。
問題は仮想通貨取引所に口座を開けて仮想通貨をトレードしている個人の8割は、(仮想通貨は投資対象)と思い込んでいる点です。言い換えれば、将来、株や債券などのアセットクラスと混じると思い込んでいるわけです。
いまのところそのシナリオはかなり遠のいたと思います。
【お知らせ】
広瀬隆雄のnoteもよろしく。
お問い合わせはhiroset@contextualinvest.comまで。
なぜこんなに相場は酷い?
既に多くの人が指摘しているように、昨日、「ゴールドマンサックスが仮想通貨トレーディングデスクを設置するのを見送ったらしい」というニュースが直接の引き金になったと思います。
それに加えて先頃ビットコインETFの申請が米国証券取引委員会(SEC)からまとめて「ダメ出し」されたことも響いています。
ちょっとまて、これらはFiatの世界の事だろ? なんでトラストレスの分散型通貨であるビットコインやイーサリアムに、これがカンケーするの?
という大石某の呻き声が聞こえてきそうです(笑)
上記二つの事件が浮き彫りにしたことは「仮想通貨はいまのままではメジャーの世界にデビューできない」という事です。
それじゃ「メジャーの世界」って、一体何?
それは株・債券などの投資対象の世界です。
いま仮想通貨全体の時価総額は2028億ドルです。一方、債券の時価総額は96兆ドル、株式の時価総額は83兆ドルです。すると債券市場は473倍、株式市場は409倍、両方合わせて882倍もあるのです。
仮想通貨クラスタがクソミソにするジェイミー・ダイモン様の「遊び場」は、アンタらのチマチマした世界より882倍も大きいんだぜ!
もちろん、仮想通貨クラスタはこれまで通り、世界に背を向けて、仮想通貨クラスタの中だけで細々と生きてゆくという選択肢もあるでしょう。
でも僕に言わせれば仮想通貨は「こいでないと倒れる自転車」、つまり前進し続けることをやめてはいけないと思うのです。
なぜなら「通貨はネットワーク」だから。
寛永通宝だろうが刀貨だろうが、およそ通貨のパワーはそれが通用する「流通圏」によって測ることが出来ます。
どこでも受け取って貰えない通貨はゴミだということ。
どんなに意匠が精巧で、まがいものが作りにくくても、そもそも受け取って貰えないものには通貨としての価値はありません。
ゴールドマンサックスの参入見送りとビットコインETFの却下は、端的に言えばFiatの世界が仮想通貨に対して「あんたら、来て要らない!」と門戸を閉ざしたことに他なりません。
もちろん、「ふん、Fiatなんかに相手にしてもらわなくてもいい。我々は、われわれだけの世界で生きてゆく」という考えがあっても良いと思います。僕はこの世界を積極的に支持します。
それじゃあ、その世界って、何だ?
と言えば、早い話、それはサイファーパンクたちが夢見たユートピア的世界と言えます。
サイファーパンクについては知らない人もいると思うのでちょっと言葉を足すと、まずサイファーというのは「暗号」という意味です。パンクというのは「悪ガキ」という意味です。
この両方を合わせたサイファーパンクは「デジタル社会が人々の基本的人権を侵さないようにするためにはプライバシーを擁護しなければいけない」という主張をしました。そして自分たちが独自に書いたソフトウェアによりプライバシーの擁護を押し進めてゆくと宣言したのです。
これは或る意味、1776年の独立宣言や1848年の『共産党宣言』に匹敵するような重要な主張です。
サイファーパックのエトスはリバタリアン的であり、「世界は俺たちを必要としていないし、俺たちだってあんたらを必要としないさ」という、ある種、反逆児的な気骨を持っていました。
つまり「俺たち独自の世界」というわけです。
仮想通貨は、そういう「俺たち」だけで通用する決済手段として、その独自の世界観を構築するためのひとつの礎として構想されたわけです。
その世界は「地下的」であり、既存の社会体制とは別に存在するという意味で「二重構造」であり、「裏の世界」なのです。
実際、仮想通貨が「決済の手段」として使われ、大成功を収めた例として違法ドラッグのバザールである「シルクロード」を挙げることができると思います。
「シルクロード」はリバタリアンのロス・ウルブリヒトによって開発・運営されていました。最初はハイになれるキノコを売っていたけれど、すぐにマリファナ、ヘロイン、コカインなども扱われるようになりました。その「シルクロード」での決済通貨がビットコインだったのです。なお彼はいま刑務所に収監されています。もう二度とシャバのお天道様を仰ぐことはありません。
つまり「決済の手段」としての仮想通貨の最初の大きな成功例は「ビットコインでビールやコーヒーが買える」ということではなくて、ドラッグマネーのトラフィッキングだったということです。
通貨にとって重要なことは、それが「誰によって発行されたか?」ということではありません。そうではなくて「誰に受け取って貰えるか?」、言い換えればそれを使う人が多ければ多いほど信頼度が高まるということなのです。
たとえばいま通貨危機に瀕しているアルゼンチンでは米ドルが重宝されています。これはもちろんアルゼンチン政府が出したものではありません。それでもアメリカの紙幣が信頼されている理由はアルゼンチンの多くの市民が喜んでそれを受け取るからです。
さて、イーサリアムやビットコインなどの話に戻れば、「俺たち独自の世界」という世界観は大いに結構だし、僕もそれには共感します。またブロックチェーン技術のエレガントさも素晴らしいと思います。しかし通貨にとって重要なことはそれが幅広く流通し、どこでも買い物が出来るということなのです。
それが出来ない以上、仮想通貨は一部のギークなオニイチャン、オネエチャンたちの玩具の域を出ないか、ドラッグマネー、テロリストマネーを動かす際の道具としての使い道しか無いのです。
問題は仮想通貨取引所に口座を開けて仮想通貨をトレードしている個人の8割は、(仮想通貨は投資対象)と思い込んでいる点です。言い換えれば、将来、株や債券などのアセットクラスと混じると思い込んでいるわけです。
いまのところそのシナリオはかなり遠のいたと思います。
【お知らせ】
広瀬隆雄のnoteもよろしく。
お問い合わせはhiroset@contextualinvest.comまで。