イケダハヤトのツイッターを見ていて「許可はいらない」というツイートに深く考えさせられたので、これを書きます。



その記事の中で彼は「何かを始めるにあたって許可を得る必要があると思い込んでいる人が多い。でも自分がやりたいと思えば、すぐに始めればよいし、やり続ける必要もない。他人の許可や同意を求めれば、スピードが落ちてゆく。会社を辞めるという決断すら、本人の気分で決めていい」と喝破しています。

これを読んで僕の想いは印象派絵画に飛びました(笑)

(イケダハヤトが主張していることは、印象派の連中が主張していたことと、まったく同じだな……)

印象派をグループとして組織した功労者はカミーユ・ピサロです。彼は印象派で最も有名な画家ではないけれど、同じ志を持つ画家たちと連携し、印象派画家たちによる「株式会社」を組織し、8回に渡る印象派展の企画に参画しました。

印象派画家はたくさん居るけれど、8回の印象派展のすべてに自分の作品を出展した画家はピサロだけです。

ピサロはバージン諸島のセント・トーマス島に生まれます。1830年のことです。ピサロは「ユダヤ人で最初の画家」です。なぜ彼がユダヤ人で最初の画家かといえば、ユダヤ教は芸術創作活動をモーゼの十戒のうちの第二戒(Second Commandment=日本では普通、「偶像崇拝の禁止」と理解されています)で絵画や彫刻を製作することを戒めていたからです。

だからシナゴーグには絵画や彫刻が置いてないのです。

ところがピサロは絵が描きたかった。

すると、ユダヤ人という自分の生い立ち自体が、自分のやりたいことと真っ向から対立していたわけです。

もし自分がやりたいことを貫こうと思えば、社会規範に反抗せざるを得なかったのです。こうしてピサロは早くから世間で常識とされていることを疑い、批判や反対を押し切って、自分流のやり方を貫く気概を身につけるわけです。

ところで1841年にアメリカ人、ジョン・ゴフ・ランドがチューブに入った絵の具を発明します。それまでは絵の具は画家が自分で混ぜるものであり、一度調合した色は豚の膀胱で出来た袋に詰め、保存されていました。これだと持ち運びが不便です。

ペイント・チューブの発明で、画家は初めてアウトドアで絵が描けるようになりました。また、ある情景を見て(これを描きたい!)と思ったら、すぐカンバスに向かうことが可能になったのです。

これはインスタント・カメラの発明と同じようなインパクトがあったわけです。さらに現代的な比喩を使えば、スナップチャットやインスタグラムのノリだと言えなくもないでしょう。

1855年にピサロはパリに向かいます。当時のパリはナポレオン三世の治世で、大通りや公園などが次々に建設され、我々がこんにちパリと聞いたときに思い浮かべる都市の威光が整備されている真っ最中でした。

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(『モンマルトル通り』カミーユ・ピサロ 出展:ウィキペディア)

1850年から1870年までの間にパリの人口は2倍に膨れ上がりました。

生活のリズムはどんどん速くなり、社会規範や道徳がガラガラと音を立てて崩れていきました。当時生まれた子供の3人に1人は私生児だったそうです。

それまでの絵画は宗教画や名士の肖像画などが中心でしたが、画家たちは街に出て、劇的に変化を遂げつつある都市を活写し、また市井の「普通の人たち」の日常を捉える事に夢中になったのです。

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(『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』ルノワール 出展:ウィキペディア)

たとえば印象派の絵画に多く登場する自由闊達な女性たちはロレット、つまり道徳観念のゆるい、身持ちの悪い娘たちでした。

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(『ブージヴァルのダンス』ルノワール 出展:ウィキペディア)

当時の芸術界で認められようと思えばサロンでの展覧会に作品を出展することがハードルになっていました。そしてアカデミーと呼ばれる組織が合否を決めていました。

しかしそうしたエスタブリッシュメントが要求する合格基準は、印象派の画家たちが描きたいものとは著しく感覚がズレていました。

そこでピサロらのグループはバゲットを焼くパン屋の組合(=とりわけ厳しい掟と平等主義で知られています)の定款を参考にして、画家の組合を形成したのです。これらの15人の画家が「株式会社」を結成し、サロン・システムの外側で創作活動すること、アカデミーを無視すること、賞を取ることを無視することなどを誓い合います。そうやって1874年4月に第一回印象派絵画展の開催に漕ぎ着けるわけです。

その後、印象派が一世を風靡し、絵画の在り方を再定義し、アカデミーに代表される、伝統的な価値観が精彩を失ったことは、いまさら説明するまでもありません。

いささか印象派の話が長くなってしまいましたが、僕が言いたいのは、テクノロジーによって我々の暮らしは変化しつつあり、つながり方や仕事の進め方、さらには若者の価値観すら変わりつつあるということです。これは上の話に出てくる「ナポレオン三世の時代のパリ」に匹敵する世の中の変わり方でしょう。

僕はイケダハヤトとかはあちゅうとか田端信太郎よりずっと年上なので、属性としては反動、体制側の人間……つまりアカデミーの会員みたいな立ち位置です。もっと今風の言い方をすれば「勝ち組」ですか。

しかし、僕のまわりの居心地の良い世界、言い換えればエコール・デ・ボザールみたいな世界は、ガラガラと音を立てて壊れ始めていることを感じているのです。

コンピュータは、主に知識集約的な業種における仕事の進め方を効率化するので、ホワイトカラーのマンパワーは世界的に余りつつあります。余剰している経営資源には価格下落プレッシャーが働くのが常ですから、給料はいつまでたってもあがらないわけです。

インベストメント・バンカー、弁護士などの、これまでアメリカ社会で「勝ち組」と思われてきた職業も、いま激しい変化の波に晒されています。

企業には「時代の変化についてゆけ!」という激しいプレッシャーが圧し掛かっています。

これまでの「成功するキャリアパス」は、人生で遭遇するリスクを避け、安心・安全を手に入れるために大企業やお役所に勤めるのがベストだと思われてきました。その代り、それらの組織に忠誠を誓い、自分の時間を捧げることで、庇護を受けてきたわけです。

我々は就活シーズンが来ると紺色のスーツを着て企業を回ります。22歳で自分の生涯を「つなぎ売り」し、人生のUpsideを全て雇い主に託してしまうわけです。これはある意味、「ファウスト的取引」です。

しかしそれらの雇い主は、いま世の中の変化について行けず、弱っています。社員を抱える重責にあえいでいます。そして、こっそりズルをしはじめています。すなわち非正規雇用を拡大し、定年を迎えたシニア層を半分の値段で雇用し、なるべく正規社員を抱える重責から逃れようとしているわけです。

先日、田端信太郎君が食器洗い機を使って時間を節約すべきだというツイートをしたら、それに対してゴマンと反論が寄せられたそうです。



田端君は「自己愛が強い奴が多すぎる」と言っていますが、僕はむしろそもそも日本人には時間が貴重だという観念が欠如しているように思います。時間が貴重だという感覚が無いからこそ食器洗い機で時間を節約することにも無関心なのです。

もともとサラリーマンの時間は「ファウスト的取引」により会社に捧げてしまったもの。

だからサビ残も付き合わざるを得ないし、そういう奴隷の身になっているのに、何をいまさら「時間の節約」を論じる必要があるのでしょう?

自分の人生をリスクから守り、安心・安全を約束してくれるはずの存在である会社……でもその会社は我々にとんでもない不渡り手形を渡しているのです。暗黙の約束は、こっそり反故にされているのです。

そう考えてくると、イケダハヤトの主張にも一理あるように僕は感じるのです。

基本的にイケダハヤトが主張していることは「アカデミーのお歴々の言う事は、無視しろ!」ということです。それでも旧習にアタマが凝り固まっている我々は、やれ「筆使いが精緻じゃない」とか「色が、眩しすぎる」とか「身持ちの悪い娘が、下心見え見えのおにいさんとイチャイチャしている絵をかくなどけしからん!」とか、いろいろ難癖をつけることばかりに腐心しているわけです。

そういう旧世界は、もう終わっているというのに。

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