とまあこう書くとなんか回虫みたいで気色悪いわけですが(笑)、やっぱ映画『永遠の0』が話題になるというのは最近の国際情勢に刺激されたという点に加えて、「零戦カッケー!」という、男の子にありがちな直情的リビドーの仕業に因るところが多いわけで……

早い話、僕も好きです、零戦。

以下は近著『乙女たちの翼』からの抜粋です。



私は地域ごとにグループ・リーダーを指名した。米国東部はベティ・ジイリースに任せることにした。ベティの拠点は、デラウエア州ウィルミントンだ。西海岸は若いBJエリクソンに任せる事にした。BJの拠点はロスアンゼルスのロングビーチだ。中西部はデル・シャーに任せた。彼女の拠点はミシガン州ラマラスだ。そして私はロスアンゼルスのロングビーチに滞在し、色々な新しい戦闘機や爆撃機に試乗することにした。先ず自分がこれらの難しい機種の操縦をマスターし、指導プログラムを作成した後、それぞれの地域のリーダーに飛ばし方を伝授する。そしてそれらのリーダー達が、グループのメンバーの中で一番操縦の上手い一握りのパイロットに、同じ教育を繰り返す……こうしてネズミ講式に、これらの難しい飛行機を飛ばせるパイロットを増やしてゆこうという計画だった。

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1943年2月27日、私はカリフォルニアのイングルウッドにあるノースアメリカンの工場に着いた。その工場は2つの大きな建屋から成る、真新しい、巨大なもので、それぞれアメリカン・フットボール場がすっぽり入るほどの大きさだった。白い外壁には高い位置で窓が巡らされており、自然光が入るようになっていた。内部では1万人近い工員が数えきれないほどのB25ミッチェルを生産していた。その多くは女性であり、各自、黄色や青の、カラフルなシャツを着て、リベット打ちをしたり、配線のテストをしていた。その間を、女性のメッセンジャーが、自転車に乗って、メッセージを届けている。昼休みの時間になると、ブリキ製のランチボックスを提げた女性たちが工場の外に出て、作りかけの胴体や翼がびっしり並べてある資材置き場で、日向ぼっこしながらサンドイッチを食べていた。

私は、手始めにP51ムスタングに乗った。P51の「P」は「追撃」の意味であり、戦闘機の中でもとりわけ速度の早い種類を指す。P51は英国本土防空戦の結果、戦闘機が足らなくなった英国空軍が、アメリカの下請け、ノースアメリカン社にP40ウォーホークのライセンス生産を依頼したことが、そもそものきっかけとなった。ノースアメリカンは、旧式なP40ではなく、全く新しい戦闘機を作りたいと英国空軍に提案し、P51の試作機をイギリスに送った。英国空軍は送られてきた試作機の性能が優れていたのと、ノースアメリカン社の工場で生産された飛行機の品質管理の良さに惚れ込んで、P51を正式発注した。私が乗るP51は、P51「A」という種類で、第1号機が工場からロールアウトされたばかりだった。P51Aは、アリソンV1710―81エンジンを搭載していた。このエンジンは12気筒の液冷V型で、1200馬力だった。プロペラは3枚だった。
私は、イングルウッド工場の主任技師と打ち合わせした後、WAFS向けの手引書を書くことを想定しながら、飛行前の目視検査を開始した。
まず主翼の中心にある円形の燃料注入口のキャップが、しっかり閉まっているかを確認すること。
次に主翼のフラップに損傷が無いか確認する。
それから主翼の端に歩いて行き、補助翼が円滑に動くか、触ってみて確認する。補助翼の付け根の、主翼との間の隙間には、キャンバス地のシールがある。これは空気がこの隙間の中に入り、乱気流を生じるのを防ぐためだ。キャンバスのしつらえが悪く、ひっかかるようだと、補助翼の動作がぎこちなくなる。
次に主翼の下に回って、車輪を収納するスペースを下から見上げ、油圧装置に油漏れが無いか点検する。
胴体の真下、操縦席の少し後ろにはP51の外見上の大きな特徴である、ラジエーターへの空気取り込み口がある。ここは地面から一番近い開口部なので、異物が入っていないか特に注意して調べる。
次に機首に回ると、プロペラ・コーンのすぐ下に、僅かな開口部がある。これはキャブレターへの空気取り込み口だ。ここにも異物が入っていないか確認する。
これで外部目視確認は終了だ。いよいよP51に乗り込む。
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