日本のマスコミを見ていると「アベノミクスは失敗した」式の論調が多いね。2年くらい試しただけで、なぜそう性急に断言できるのかねぇ(笑)

まだわかんないでしょ? もっと時間をかけて観察してみないと。

思い出してみればリーマンショックの後でベン・バーナンキFRB議長が実質ゼロ金利を打ち出したときも、非難が轟々で、バーナンキが2期目の議長を務めるということになった際、すんでのところで議会がそれを否決するところだった。

なんだかんだ言って、米国は6年以上もゼロ金利を続けているわけで。

バーナンキ議長の量的緩和政策(QE)にも、批判が多かった。

しかもQE1だけじゃ足らなくて、QE2、QE3と三回もトライする羽目に。

でもやっとQEの効果が出て、アメリカ経済が回復に向かい始めると、QEに反対してきたことは棚に上げて、今度はQEを「縮小してはいかん!」と大合唱の始まりだ(笑)

外野は楽だね。

どっちにしろ、批判さえすれば賢いように見えるから。

世の中にはDoer(ドウアー)と、その他大勢という二種類の人種が居る。

Doerとは、行動を起こし、実行する人。

その他大勢は、高みの見物を決め込み、ときどきDoerが成功しそうになると、やっかみ半分、茶々を入れる。

ま、世の中がシラケちまったのは今の日本だけじゃない。

1970年代のイギリスとかも、負け犬が板についていた。「Winter of Discontent」と呼ばれる、みじめな状況の中から、マーガレット・サッチャーが登場したわけだ。

そのしばらく後に出てきたアメリカのロナルド・レーガンだって、イランの米国大使館の大使館員が666日も人質に取られて、およそ国としての面目が丸潰れになった屈辱の果てに「ひょうたんから駒」式に大統領になった人だ。ハリウッド俳優に大統領が務まるか!と、馬鹿にする声が大きかった。

つまりサッチャリズムもレーガノミックスも、国民が(もうこの国、信じられない!)という閉塞状況に追い込まれたときに出てきたわけだ。

その点、アベノミクスも福島原発事故で日本のあらゆる権威というものに対し国民が(もうこの国、信じられない!)と思った時に出てきたという意味で不思議に共通点がある。

さて、サッチャーとレーガンは市場原理を経済政策の中心に据えた。それはフリードリヒ・ハイエクの『隷従への道』で示された価値観を、実際の政治の運営に援用したものだと理解できる。

経済はマーケットに任せておいて、外交は「場合によっては、軍事的対立も辞さない」という強面の態度を取った。

それは新しい保守主義の誕生だったと言える。

この新しい保守主義が理論武装するにあたって牙城となったのが、イギリスの場合、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスであり、アメリカの場合、シカゴ大学だ。

加えて保守系の若いシンクタンクが登場した。アメリカのヘリテージ財団ケイトー研究所、イギリスの場合はアダム・スミス研究所だ。

これらのシンクタンクが推進したのは、新自由主義とでも言える考え方だ。それでは新自由主義とは、何だ?

アメリカの本質は「自由」である。

ここでの「自由」とは、誰が、何をやっても構わない…という意味じゃない。

そもそも清教徒がアメリカに渡ってきたとき、彼らが求めた「自由」とは「良心の自由(freedom of conscience)」を意味した。

アメリカがイギリスから独立するために独立戦争を始めた際、そのリーダーとなったジョン・アダムズはハーバード大学を出た憲法学者であり「法の支配」を重視した。

この場合の「法の支配」とは、国家権力の濫用を戒め、明文化された社会のルールの枠内で自由を享受すると言う意味だ。

社会のルールが守られた中で、自由な意見の交換や取引が保証されれば、市場の原理が働き、悪いアイデアは良いアイデアにいずれ駆逐される

アメリカの建国はこのようなドクトリン(教義、ないしは主義)に基づいていたわけだ。

新自由主義は、そういうアメリカが建国したときの基礎になった信念の埃をはたいて、再び担ぎ出してきたに過ぎないのだ。

私有財産、自由競争、選挙の自由、言論の自由、結果の不公平の甘受などの基本観をレーガノミクスとサッチャリズムが共有しているのは、そういう理由による。

このへんのキーワードを散りばめて安倍ちゃんが米議会で演説すれば、チョーうけると思うんだけどな……