しかし困ったことがおきます。
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ベトナム戦争で財政赤字を抱えた米国はインフレに苦しみ、1971年8月にドルの金との兌換を停止します。

これに先立ちドイツは1971年5月からドイツ・マルクを変動相場制度に切り替えます。

これらの事により1940年代から続いてきた固定相場制度、つまりブレトン・ウッズ体制は1973年までには崩壊するのです。

変動相場になる前と後での欧州の輸出を比べると、一般論で言って変動相場採用後は輸出が低迷しました。これは為替変動で利益が吹き飛ぶかもしれない輸出市場より国内市場を優先する企業経営者のマインドを反映しています。またドルがどんどん刷られるようになると世界がインフレになり労働者の賃上げのプレッシャーもたかくなりました。つまりインフレのアンカーが引き摺られるようになったちいさな国がそれぞれの通貨を変動相場に晒すより、或る程度、為替相場を固定し、安心して輸出に励めるようにするニーズはこうやって高まったのです。1955年に既に欧州通貨協約(EMA)の試みはスタートしたのですが、ブレトン・ウッズ体制が崩壊した後で通貨統合への運動の機運は一層高まったと言えると思います。
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さらに長期で見れば通貨を統合できれば社債や株式などの証券市場の発達を促進できるし、それは資本調達コストを下げるというメリットもあります。

この一覧表は通貨ユーロが誕生するまでのみちのりをまとめたものです。
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欧州石炭鉄鋼共同体は1950年、欧州経済共同体EECは1958年、カスタムズ・ユニオン(関税撤廃)は1968年、EMSは1979年、コモン・マーケット(非関税障壁の撤廃)は1993年、マーストリヒト条約は93年です。そして最終的なマネタリー・ユニオン(通貨統合)は99年に実現しました。(=ユーロの創立メンバー11カ国の通貨は固定された。但し貨幣、紙幣の導入は2003年。)

通貨統合は最初からリスクを内包していました。なぜならヨーロッパには経済の強い国もあり、弱い国もあるからです。普通、経済の弱い国は通貨が下落します。すると国民の生活水準は下がりますけど、賃金が安くなると逆に輸出競争力は上昇するのです。続きを読む