米軍によるイランへの新たな攻撃が報じられた木曜日、金相場は一時3月26日以来となる2カ月ぶりの安値水準へ売り込まれた。グリニッジ標準時06時11分時点の金現物は1.8%安の1オンス=4,375.78ドルまで下落し、6月限の米金先物も1.6%安の4,373.90ドルを付けている。銀が2.6%安の72.70ドル、プラチナが1.7%安の1,884.83ドルとそれぞれ1カ月ぶりの安値を記録し、パラジウムも2%安の1,362.70ドルへと沈むなど、貴金属セクター全体が息を潜める展開となった。
この短期的な下落の背景にあるのは、くすぶり続けるインフレ懸念とそれに伴う金利見通しの不透明感だ。原油価格の上昇とドルの逃避買いが相場の重しとなっている。StoneXのシニアアナリスト、マット・シンプソンが指摘するように、中東の和平交渉を巡る度重なる「空振り」に市場は疲弊しており、結果としてドルの底堅さが維持され、金は圧迫されやすい環境にある。金は伝統的なインフレヘッジ資産だが、原油高がインフレを再燃させれば高金利環境が長引き、金利を生まない金には逆風となる。
実際、FRBのリサ・クック理事も直近のスタンスとして「目先は政策金利を据え置くべき」としつつも、関税、イラン情勢、そしてAI関連投資の急増がもたらす物価上昇圧力を警戒し、必要とあれば追加利上げも辞さない構えを見せている。市場の視線は、金融政策の次の一手を占う上で極めて重要な米個人消費支出(PCE)データに向けられている。
しかし、こうした足元の神経質なボラティリティに目を奪われると、より大きな潮流を見落とすことになる。ロックフェラー・グローバル・インベストメント・マネジメントのダグ・モグリアが主張するように、金は新たなコモディティサイクルの紛れもない「アンカー」であり、その長期的な強気相場(セキュラー・ブルマーケット)に綻びは見られない。
過去数年間、AIインフラの構築やエネルギー安全保障、サプライチェーンの国内回帰といった構造的な需要に対し、供給サイドの制約が重なることで、長らく放置されていたコモディティがポートフォリオの分散投資先として再び脚光を浴びている。中でも貴金属のパフォーマンスは群を抜いており、2025年初頭からの上昇率は金が92%、よりベータ値の高い銀に至っては152%と倍以上になった。
モグリアはこの現在地を、ブレトンウッズ体制の崩壊(1970年代初頭)や、ITバブル崩壊後に金が金融不安のヘッジとして台頭した時期(2000年代)に次ぐ、過去50年で3度目の巨大なレジームチェンジと位置づけている。今回の引き金となったのは2022年のロシア・ウクライナ戦争であり、より正確にはロシアの外貨準備に対する経済制裁という前例だ。
これに肝を冷やした各国の中央銀行は、ドルやユーロのシステムに依存する外貨準備がいかに政治的・法的なリスクに晒されやすいかを悟った。発行体リスクやカウンターパーティリスクを持たない究極のグローバルマクロ資産としての金が、このパラダイムシフトの最大の恩恵を受けたのは必然と言える。2022年から2024年にかけて、中央銀行は毎年1,000トン以上(年間世界の鉱山生産量の約20〜25%に相当)の金を買い漁った。この強烈な実需により、金価格は経済成長見通しや実質金利、ドル相場といった従来のシクリカルな変動要因から明らかに逸脱した動きを見せるようになる。
そして2025年、相場は新たなフェーズに入った。モグリアが「欧米の金融マネーへのバトンタッチ」と表現した通り、個人投資家の参入やETFを通じた資金流入が本格化したのだ。同年の中央銀行の純購入量は前年までの1000トン超えから863トンへと一服した一方で、世界の金ETFの保有高は約20%急増し、総計3,000トンを突破した。ドル安と投機的なモメンタムの流入が、銀やプラチナといった貴金属への動きをさらに増幅させたのがこの時期だ。
この主役の交代劇こそが、まさに足元で起きている乱高下の正体である。価格に頓着しない中央銀行の継続的な買いが強力な下値支持線(フロア)と上値抵抗線(シーリング)を切り上げる一方で、モメンタムを追うスピードの速い金融プレイヤーが市場の限界的な価格決定権を握ったことで、ボラティリティは必然的に高まっている。2026年1月下旬に見られた投機的レバレッジの蓄積による急激な価格の巻き戻しや、今回の地政学リスクに対する敏感な反応は、その典型的な症状だ。
モグリアの分析によれば、金価格は2027年に5,500ドルを突破し、2030年には1万ドルの大台に達する可能性があるという。その一方で、ここまでアウトパフォームしてきた銀の上値余地は次第に狭まっていくと見ている。現在約31%を占める中央銀行の金準備高が、いずれ世界のドル準備高(56%)に肩を並べる日が来るのか。市場のノイズに揺さぶられ、時に急激な調整を交えながらも、水面下では国家レベルの歴史的な資産シフトが静かに、だが確実に進行している。